嘉永一揆行程表
提供:ミヤペディア
嘉永六年の出来事
嘉永6年 | 3月 | 新たに御用金徴収がはじまり数百名の一揆が野田代官所を襲撃。後、一端終息 | |
5月 | 19日 | 黒崎村、普代村、掘内村から一揆の狼煙 | |
20日 | 萩牛村、巣子村、沼袋村へ | ||
21日 | 安家村へ。野宿 | ||
23日 | 大披(おおひらき)御日払所打ち壊し | ||
24日 | 大披(おおひらき)鉄山打ち壊し | ||
27日 | 岩泉から村々を勧誘して小本村へ | ||
28に | 田老村へ | ||
29日 | 宮古町へ。役人拙宅を打ち壊す | ||
6月 | 2日 | 山田村へ、宿泊 | |
3日 | 大槌へ。打ち壊し発生 | ||
4日 | 大槌、小国、両石で打ち壊し発生 | ||
5日 | 釜石へ到達 | ||
6日 | 篠倉峠を越えて仙台領唐丹村へ到達。越境者約9000人 | ||
17日 | 代表者45名を残し帰村、帰路、平田村にて打ち壊し発 | ||
南部藩が役銭の徴収を開始する | |||
18日 | 仙台領に残った45人より一揆再挙の指示がでる。一揆は宮古通り北、女遊戸村にて役人と対峙、死者1名 | ||
8月 | 10日 | 盛岡藩、一揆の頭取に対し探索令発令 | |
13日 | 代表者45名仙台城下へ移動 | ||
10 | 13日 | 一揆騒動解決のため遠野の南部弥六郎、仙台城下へ。交渉開始 | |
27日 | 南部、仙台役人の両藩立ち会いで代表者45名に安堵状が渡される | ||
29日 | 代表者45名帰村のため仙台城下を出立 | ||
宮古からの嘉永一揆参地区別加人員
鍬ヶ崎村 | 60人 |
高浜村 | 25人 |
金浜村 | 12人 |
津軽石村 | 64人 |
赤前村 | 9人 |
重茂村 | 42人 |
田老村 | 193人 |
乙部村 | 119人 |
崎山村 | 53人 |
宮古村 | 112人 |
磯鶏村 | 44人 |
山口村 | 23人 |
田代村 | 102人 |
※各資料により若干人数が異なります |