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カテゴリ:東日本大震災

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目次

3月11日、15時26分、津波最大波到達

2011年(平成23年)3月11日。宮古のまちは何の変哲もない朝を迎え、人々はいつも昼下がりを迎えていた。そんないつもの平和な地方都市の午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震が発生。震度5強の激しい長い揺れに誰もが不安になった。市内各所の防災無線からは大津波警報が発せられ、その約40分後想像を絶する大津波が押し寄せた。津波は船や漁業資材を巻き込み5.2メートルの防波堤を越して市街地に流れ込んだ。津波はまちをのみ込み多くの財産を奪い尊い人命も奪った。平和な宮古の昼下がりは一変し、ヘドロと瓦礫、水没自動車が散乱するどん底の地獄絵図に変貌していた。

宮古市の被害状況①

【地震の状況】~気象庁発表データより~

発生時刻 平成23年3月11日午後14時46分ごろ
震源地 三陸沖(北緯38度6.2分東経142度51.6分
牡鹿半島の東南東約130km付近)
震源の深さ 約24km
震源の規模 マグニチュード9.0(H23/3/13 気象庁発表)
震 度 震度5強/茂市
震度5弱/五月町、鍬ヶ崎、長沢、田老、川井、門馬田代
警報等の発表

3月11日午後2時49分
岩手県に大津波の津波警報

3月12日午後8時20分
津波の津波警報に切替

3月13日午前7時30分
津波の津波注意報に切替

3月13日午後5時58分
津波の津波注意報解除

【津波の概況】~気象庁発表データより~

第1波 到達時間3月11日
午後2時48分高さ0.2m
最大波 到達時間3月11日15時26分
高 さ 8.5m以上 ※後日現地で回収した津波観測点の記録の分析結果
痕跡等から推定した津波の高さ 7.3m(平成23年4月5日盛岡地方気象台発表)

※津波観測点付近において津波の痕跡等から津波の高さを調査した結果(参考)
  津波遡上高(陸地を駆け上り到達した津波の高さ)
○田老小堀内地区 37.9m(東大地震研究所発表)
○ 重茂姉吉地区 40.5m(学術合同調査グループ発表)

【組織の体制】

(1)宮古市災害対策本部設置 平成23年3月11日 14時46分
(2)宮古市災害対策本部廃止 平成24年8月31日 17時00分
※これまで「宮古市災害対策本部(関係機関合同)会議」を78回開催し活動調整を実施

【水ひ門の状況】

(1)警報発表時 閉鎖水ひ門数111箇所(宮古地区93箇所、田老地区18箇所)
                  (うち被災25箇所、宮古11箇所、田老14箇所)

【避難状況】

(1)避難指示発令  平成23年3月11日 14時49分
(2)避難指示解除  平成23年3月13日 17時58分
(3)避難指示対象  5,277世帯、12,842人
(4)避難者数    最大時:85箇所、8,889人(8 月 10 日に指定避難所を全て閉鎖)
(5)避難者対応  食事提供、炊き出し(一部避難所)、給水提供、毛布提供、日用品等提供、
         仮設トイレ設置(一部避難所)、入浴支援(一部避難所)、医療提供(医療チーム・ 宮古医師会)、衛星携帯電話等設置(一部避難所)など

避難所ケ所数及び避難者数

85ケ所 8,889人(最大時)
※避難実人数は、避難所および避難場所(高台など)への避難者数

【被害状況】

人的被害死者 死亡届出者 407人  死亡認定者110 人 合計517 人
負傷者 33人
行方不明者 94 人
避難所数 42ケ所
避難者数 3,623人
住家等被害 全壊5,968 棟 大規模半壊1,335 棟 半壊1,174 棟 一部損壊611 棟 合計9,088 棟

宮古市の被害状況②~ライフラインの復旧状況~

【電力】(東北電力発表)

・3/14  県立宮古病院、県振興局復旧
・3/21  16,000 件の停電のうち流失約 4,000 件、約 12,000 件は復旧を進める
・3/25  市役所復旧(この間は発電機使用)、市内 40%復旧(戸別復旧)
・4/15  東北電力営業所の受電完了
・4/30  市内完全復旧

宮古市内で地震発生後に停電したのは約16000件。防災行政無線も信号機も、ありとあらゆる電気に頼るものはこの日、すべてシャットダウンした。市役所庁舎もバックアップ電源もなかった。海沿いをはじめ被災した地域は当然のごとく復旧の見込みはたたなかった。一方で、宮古駅を境にした西方面の市街地は、翌日から復旧し当たり前の生活が出来るようになっていた。県立宮古病院、県振興局などが復旧したのは3月14日。宮古市役所は発電機を使用しなが25日に復旧。この時点で市内の約40%が復旧している。しかし、通電確認作業などには時間がかかり、東北電力宮古営業所管内の受電が完了したは4月15日。市内の完全復旧は4月30日。信号機、交差点の復旧12月22日だった。

【上下水道】

・3/14 復旧率 60%
・3/18 復旧率 76%
・3/24 復旧率 90%
・4/15 復旧率 100%

地震、津波浸水そして大規模停電により上下水道は浸水区域を中心に断水が発生。。断水地域はしばらくは不便を余儀なくされた。地下水などを利用したりする地域もあり、それらの湧き水を求めて行動する人も多かった。復旧率は14日で60%、一週間後の18日には76%、24日に90%、完全復旧したのは4月15日、発災から1ヶ月過ぎだった。

【通信】

・固定電話は、市内のすべての地区で復旧
  3/30 宮古局復旧、3/31 市役所光ケーブル復旧、4/15 市内復旧
・携帯電話は、au、NTT ドコモ(重茂里、魹ヶ崎、中ノ浜周辺を除く)、ソフトバンク使用可能
  3/21 ドコモ一部復旧(重茂、田老以外復旧)、4/15 ドコモと au 完全復旧、ソフトバンク仮復旧
・NTT の特設公衆電話、衛星携帯電話などを避難所に設置(3/14)
・「みやこ災害エフエム/77.4MHz」により臨時災害放送(3/22)、グリーンピア三陸みやこに送信所設置(6/1)

防災行政無線は同報系57件、移動系46件が被災。情報通信手段はシャットダウンした。行政側にも情報通信のバックアップ機能もなく避難所等の連絡手段、情報受発信が出来る体制にはなかった。発災後、宮古、田老のNTT局が被災、固定電話、そして携帯電話がつながらなくなった。一部でつながる携帯はauのみであったが、電波の状況はかなり悪かった。NTTでは14日に特設公衆電話、衛星携帯電話などを避難所に設置した。10日後の21日、NTTドコモの一部が復旧した。行政防災無線も被災、行政からの情報の発信が出来ない状況の中、民間による「みやこ災害エフエム」が22日から臨時災害放送を開始した。市内宮町の陸中ビルから出力20ワットで安否確認情報、ライフライン情報、生活すべてにかかる情報を発信し続けた。6月1日にグリンピア三陸みやこにも送信所を設置。田老地区にも電波を届けた。固定電話は3月30日に宮古局が復旧。市役所の光ケーブルは31日復旧。4月15日に市内の固定電話は完全復旧、携帯もドコモ、auが完全復旧、ソフトバンクは仮復旧となった。

【公共交通機関】

・JRは、山田線宮古~盛岡間で通常ダイヤ運行(3/26 から)、宮古~岩手船越間及び岩泉線で代行バス運行
  (閉伊川鉄橋(落橋)から津軽石にかけて線路流失:復旧方法検討中)
・三陸鉄道は、3/20 から宮古~小本間で1日3往復運行開始、3/29 から1日4便で運航中
・県北バスは、各路線バス、106 急行バスなどを運行
  3/16 に市内一部路線、106 号バス再開、3/18 に全線再開

地震、津波に伴い、その日の交通機関は、JR山田線、JR岩泉線代行バス、三陸鉄道は全線運休となった。市内のバス路線も全線運休した。しかし、県北バスはいち早く一部路線の運行を開始。16日に市内の一部、そして106急行バスを再開した。バスは順次運行を再開し、4月25日に全路線が運行、6月25日に通常ダイヤに移行した。JR岩泉線代行バスの宮古ー岩泉間の運行は3月20日に再開された。三陸鉄道もこの日から宮古ー田老間を一日3往復で再開した。3月29日には小本まで再開。4月11日からは一日4往復運行されている。JR山田線は3月26日に宮古ー盛岡間の運行を一日2往復で再開した。4月29日からは一日4往復運行している。4月20日からはJR山田線の宮古ー岩手船越間の路線バスへの振替輸送が開始された。8月1日からは釜石までの振替輸送も開始されている。

【道路】

・国道、当日から主要幹線の啓開作業開始、警察は交通規制開始。
  3/14 国道開通。
  3/29 概ね完了。
  4/15 歩道の瓦礫撤去完了。以降、本復旧に移行。
・国県道と連携し、主要な市道から順次啓開作業を開始。3/16 県道重茂半島線開通。
・3/23 公道上の車両撤去完了(1,300 台)
・JR舘合踏切の通行止は 7/31 解除


発災後、浸水した区域の道路には多量のガレキが散乱、車の通行にも大きな支障が生じた。国道のガレキ等撤去が始まったのが14日からで概ね完了したは29日、その間の23日には公道上にあった約1300台の車両が完全に撤去された。7月31日には、市街地にあるJR館合踏切の通行止めが解除された。

その他

(1)応急仮設住宅(当初希望者分は平成 23 年 8 月 11 日までに入居済:随時受付中)
  建設戸数 箇所数62箇所 戸数2,010 戸
  入居状況(平成 H24 年 7 月 6 日現在)
  入居箇所数60 箇所 戸数1,713 戸 入居者数3,883 人

(2)適用された主な制度等
・激甚災害の指定(平成23年3月12日 閣議決定)
・災害救助法の適用(平成23年3月12日 岩手県知事が決定)
・被災者生活再建支援法の適用(平成23年3月12日 岩手県知事が決定)

指定避難所は8月10日にすべて閉鎖。仮設住宅は62ヶ所、2010戸を設置。8月31日現在での入居戸数は1,682戸、3,888人が入居。

宮古市の被害状況③

(1) 建物被害 全壊41カ所、半壊11カ所、一部損壊30カ所、床上浸水22カ所、床下浸水2カ所
(2) 施設等被害 庁舎等 工作物被害1件、備品等被害多数
  社会福祉施設 設備被害7件
  社会教育施設 設備被害1件
  文化施設 工作物被害1件
  体育施設 設備被害4件
  水道施設 下水道設備被害14件、他に水道管等被害多数
  医療衛生施設 設備被害2件
  消防施設 消防ポンプ車等被害7台、小型動力ポンプ被害12台
  観光施設 観光トイレ全壊6件
  水産漁港施設 市管理漁港(15港)、防潮堤(5箇所)、宮古市魚市場等で被害
  公共土木施設 道路、河川で被害多数
  都市公園 全壊2件、半壊1件、小規模損壊2件
  学校施設 工作物被害4件、設備被害1件、土地被害1件
  文化財被害 床上浸水1件、倒壊1件
  防災施設 防災行政無線被害 同報系59件、移動系46件、他に戸別受信機が破損、潮位観測装置被害2件

【被害金額】

東日本大震災による被害推計総額 245,660,884千円

被害区分 被害推計額 (千円) 備 考
庁舎等
470,178
庁舎・工作物・備品等被害
通信施設
9,366
テレビ共同受信施設被害
社会福祉施設
1,745,167
建物・施設被害
社会教育施設
523,705
建物・施設被害
文化施設
1,115,000
建物・施設被害
体育施設
655,467
建物・施設被害
水道施設
341,000
上水道・簡易水道等被害
医療・衛生施設
1,692,365
病院等・保健センター被害
消防防災施設
780,536
庁舎等・機械施設被害
観光施設
13,600,504
公共施設・民営施設被害
商工労働関係施設
28,107,000
商業関係・工業関係被害
水産関係
21,506,426
水産施設・漁船・漁具・養殖施設・水産物被害
漁港施設
15,033,087
漁港施設・海岸施設・漁場施設被害
農業施設
36,080
農業施設被害
家畜等関係
621
畜産物被害
農地農業用施設
1,016,325
農地・農業用施設被害
林業関係
15,033,087
林業施設・林産物・森林被害
公共土木施設
7,738,258
河川・道路・橋梁・公園・下水道被害
公営住宅等
422,393
公営住宅被害
学校
210,292
建物・工作物・土地・設備等被害
文化財
12,084
文化財被害
住宅
149,605,110
日本政策投資銀行「住宅資本ストックの被害」 の推計方法を準用
※ 国・県の施設、鉄道、電信電話、電気事業者関係等の被害を除く。  

田老地区での津波

明治29年、昭和8年と壊滅状態に追い込まれた過去の津波災害から立ち直った田老(旧田老町)は、昭和9年、関口松太郎町長時代、津波へ挑戦するが如く町を取り囲む築堤計画を決意した。長い年月が流れ完成したまちは世界にも類を見ない巨大な防潮堤を巡らした津波防災都市としてその名が知れ渡っていた。しかし、今回の東日本大震災においての津波は過去の津波災害を上回る想定外の高さで田老地区を襲った。2001年3月11日午後3時23分、二重三重にぐらした防潮堤を超えた津波は家屋を押し流し田老市街地は再び大津波にのみ込まれた。

大津波は大防潮堤を超えて市街地に

押し寄せる津波は田老川水門に衝突し大きな波飛沫をあげた。その直後、防潮林を押し倒して田中地区の住宅に迫った。この模様を撮影した動画には国道45号線を走行する多くの自動車があり,家屋を押し倒しながら迫る津波に逃げ惑う人や自動車が写っている。やがて津波は国道を越え三鉄田老駅と併設する観光案内所附近の向山地区、上流の小林地区へと迫った。そして同時に二重三重の防潮堤を超えた津波の怒濤は市街地へ流れ込み田老地区は過去の津波を再現する壊滅的な状態となっていた。

津波が去った後の街は瓦礫の荒野

波が去ったあとのまちは何も残っていなかった。一面が泥と瓦礫で埋めつくされていた。道もなく家も無く、かろうじて残った鉄筋コンクリートの建築物を頼りに場所を予測するしかなかった。高台に避難した人々は変わり果てたまちを唖然として見下ろすだけだった。津波後に駆けつけた人たちは国道で足止めされ、ふるさとの惨事に目を覆った。やがて家族、親戚、友人・知人の安否もわからぬまま不安な夜が明けて、霜が降り冷え込んだ翌朝、赤い朝日に浮かび上がった光景は過去の津波災害の再現だった。こうなならないように先人たちから受け継いで築き上げた防潮堤ではなかったのか、二度と悲しみを繰り返さないよう整備した防潮堤ではなかったのか、誰もの胸にその思いが去来した。しかし現実は津波で破壊されたふるさとが眼下に広がっているでけであった。火災も発生したが消火活動すらままならない状況下だった。

地区別の内訳

 
全壊
半壊
一部破損
床上浸水
床下浸水
宮古地区
722
647
118
1,262
247
2,996
鍬ヶ崎地区
646
136
0
33
0
815
崎山地区
148
24
0
17
6
195
津軽石地区
426
136
57
287
56
962
重茂地区
118
4
1
11
2
136
田老地区
1,609
59
0
150
12
1,830
3,669
1,006
176
1,760
323
6,934

三陸沿岸を襲った主な地震・津波

千年に一度の大地震と言われる今回の東日本大震災だが、地震やそれに伴う津波災害は過去を遡れば頻繁に起きている。この年表に記載された記録以外にもまだ多くの災害記録が古文書のなかに眠っていはずだ。昭和から平成の近世でさえ私たちは多くの震災や津波を見たり遭遇したりしている。この事実を真摯にとらえ日頃の防災対策に活かしたいものだ。

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