鍬ヶ崎熊野神社
熊野神社の祭神は、伊邪那美命である。天保5年(1834)に火災のため古文書などを全て焼失したが、山根三十郎が初代神主になったのが元和2年(1616)であることから、神社の始まりもこの当時あるいはそれ以前といわれている。神社の社殿は、嘉永5年(1852)に再興されたものである。別当の山根家は、紀州から来たと伝えられており、その氏神が発展して熊野神社になったと考えられている。
- 【参考資料】宮古のあゆみ:宮古市(昭和49年3月)宮古のあゆみ:宮古市(昭和37年3月)
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漁師の護り神。重量級の御輿が宮古湾を巡る
今も昔も漁業の神として鍬ヶ崎の漁師たちに「奥宮様(おぐまんさま)」の愛称で信仰されている神社だが江戸中期に火災に遭い古い記録は焼失しており詳しい縁起などは不明。この神社の神職を勤める鍬ヶ崎の山根家の記録では元和2年(1616)に初代神主がこの神社を管理していることから、神社の発生はもっと以前と考えられる。神社は鍬ヶ崎小学校の北東側にあり巨大な鳥居と神社に向かって直線的に作られた参道が印象的。参道脇には数々の石碑や狛犬、石灯籠が奉納され漁師や漁業関係者の信仰が伺える。社は嘉永年間(1848~1853)に再建され、欄間や梁の装飾の精巧な作りは黒森神社を手がけた当時の名工、仙之助の作。後、昭和29年(1954)拝殿を拡張し現在に至る。全体に屋根も大きく奥宮、拝殿と縦に並び左側には御輿蔵が連結されている。
御輿を載せた御召船は湾内を廻り港に戻る
縁日は宵宮に夜神楽の他芸能などが奉納される。翌日は御輿が繰り出され、宮古魚市場から船に載せて湾内を一周する曳き船が行われる。海に近い神社の祭りでは、陸上渡御(神霊を移した神輿で巡回)の途中で、神輿を船に乗せて、海の上での渡御を行う。これを海上渡御または曳船祭という。現在、海上渡御を行っているのは、鍬ヶ崎の熊野神社、光岸地の大杉神社、宮町の横山八幡宮、重茂の黒崎神社、高浜の高浜稲荷神社、磯鶏の磯鶏稲荷神社の6ヵ所である。海上渡御は、漁村や港の祭りにしか見られない独特の風習である。
船は、神輿を乗せる「御召船」「先導船」「役船」太鼓を乗せる「水保船」神楽衆が乗る「神楽船」などが出るほか、フライ旗(大漁旗)で飾られたお供の船が数多く出るが、近年は減少傾向にある。
出航してしばらくすると、船が、水保、神楽、御召、一般の船の順に一列になる。以前は、御召船から綱をたらし、後ろの船に順に結んでいった。そのため海上渡御ことを「曳船」あるは「曳船祭」と呼ぶ。かつてはこの順番争いが大変だったという。今では綱でつなぐことはないが、一列に並ぶことは変わりない。
コースは、熊野、大杉、横山八幡宮の場合は宮古湾一周で、出航した船は龍神崎から宮古湾の出入り口にある閉伊崎の黒崎神社沖を回る。帰り、御輿を載せた御召船では黒森神楽衆による恵比寿舞が奉納される。
- 御縁日 7月18日、19日(土日に変更あり)