恵比寿舞
漁民の生活に直結。大漁を約束する恵比寿舞
黒森神楽の演目のひとつ。満面笑みがこぼれる恵比寿の面をつけて釣り竿を使って舞う。大漁祈願と航海安全の舞とされ、沿岸地方では欠かすことのできない舞でもある。凪の良い海原で千歳の松に腰掛けて、恵比寿は釣り竿、ミチ糸、ハリを手入れし、それらを仕立てる。仕草はかなりオーバーアクションではあるが釣バリを研いだり、こよりを直したりと「山の神舞」とは対照的に観客を喜ばせながら進行する。後半では恵比寿の竿に鯛がかかりこれを見事釣り上げる。釣ってからも魚にとどめを刺したりと様々な動作で笑いを誘う。
恵比寿舞は例大祭で御輿海上渡禦(とぎょ)を行う横山八幡宮、大杉神社、熊野神社、黒崎神社等の祭りでは曳舟の船上、あるいは魚市場や漁港で奉納される。また神楽宿で演ずる場合は宿主の希望で釣り上げる魚が、鯛から本物の新巻鮭になったりもする。このあたりが庶民にとっても親しみやすい恵比寿舞の特徴とも言える。
船上で奉納される恵比寿舞
現在のように遠くまで航海できる船を持たなかった頃は海の向こうに他界や常世があり、岬や半島をかわして外洋に出るということは他界、すなわち死の世界を意味していた。このような海に対する考え方は日本最古の思想と言っても過言ではなく、人々は岬や半島の突端に神社を奉り岬信仰という形で現在に受け継ぎ、他界である海から漂着するという恵比須信仰を生んだ。
恵比須は「夷」「蛭子」とも書き、発生はオオクニヌシノミコトの子とも、イザナギ、イザナミの最初の子で海に流した異形のヒルコとも言われるが複雑な習合の結果、七福神に取り込まれ、大漁と豊穣、航海安全の神として信仰されるようになった。
宮古では黒森神楽による恵比須舞があり、現在でも祭礼日に曳船を仕立てる大杉神社、鍬ヶ崎の熊野神社、横山八幡宮等の神輿船で大漁祈願の恵比須舞が奉納神楽として船上で舞われる。
恵比須舞は七福神の絵柄として描かれるようにきらびやかな千早に烏帽子をつけ、手に金色の扇と釣竿を持って神楽の噺子に合わせて舞う。その姿は漁師がいい場所を探りながら釣り糸を垂らす姿で、糸を垂らしながらも魚が釣れずにヤキモキする仕種が込められるなど、人間の滑稽な表情を巧みに表現してみせる。
場所を変えてもなかなか魚は釣れず、餌を取られ、仕掛けを取られ次第に焦る恵比須だが、舞は終盤に入ると垂らした糸に大きな鯛が掛るシーンになる。ここでは神楽衆が恵比須の釣糸に模造品の鯛を紐で結ぶわけだが舞手と神楽衆のやり取りには漫才じみた笑いのシーンが散りばめられている。その後、強烈なヒキに驚喜する恵比須はやっとのことで鯛を釣り上げ舞はクライマックスを迎える。
このように恵比須舞は滑稽な場面を取り入れながらも漁師と魚のやりとりがテーマになっており、恵比須が神輿の前で縁起を担いだ神楽を舞って、一年間の大漁に感謝するとともに、これからも変わらずに大漁するようにとの願いが込められている。