金鶏荘
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今はなきランプの鉱泉宿・安庭の沢・金鶏荘
江戸の享保から宝暦年間、閉伊街道の難所を切り開いた牧庵鞭牛が和井内・安庭の沢で芳香を放つ鉱泉を発見、湯沢として開山したという伝説のもと安庭の沢のさらに奥に「金鶏荘」という湯治の宿があった。名前の由来は鞭牛が導かれたという金色の鶏に由来する。また旧新里村の伝説に金掘りに関係し、のちに薬湯を見つけて長者となる逸話もあることから幾多の説がこの金鶏荘を発端に語られた可能性がある。
現在金鶏荘は老朽化のため撤去され、跡地には薬師神社と東屋がある。薬効のある鉱泉は宮古市が管理しており、ここから数キロ下った安庭山荘にパイプで運ばれている。また、安庭山荘から金鶏荘跡地までの林道は私有地となっているうえ、昨年暮れの洪水のため橋が決壊したままになっており自動車では通行できない。安庭の湯の薬効は胃腸疾患、婦人病、そして子宝就成となっている。
湯の里と性神
民間信仰のなかでも人々が最も興味をもったものが病気治癒に関係する信仰だった。医者や薬が不十分な時代は神仏にすがるしか手だてがなく、とくに現世において病気になった人々を救済すると信じられている「薬師如来」は信仰され、鉱泉などのように薬湯が沸き出す場所は薬師が現世に光臨する特別な場所として石碑や、社を建立しその功徳にあやかろうとした。そんな信仰のより所に、男根の御神体で患部をさするなどの行為で病気治癒を願う金勢社などが習合し、古代からの性神である男神、女神、道祖神、塞ノ神などが融合して信仰する者を病気や厄災から護る懐の広い性の民間信仰がうまれた。安庭の沢の薬師神社はまさにその典型と言えるかも知れない。