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金勢社

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目次

遊里・鍬ヶ崎の奇祭・子受けと病気治癒の神・日影の沢・金勢社

鍬ヶ崎日影町から館山を経て旧夏保峠(現在の梅翁寺本照寺付近)に至る沢を通称「日影の沢」と呼んだ。この沢に樹齢三百年はあろうかという欅の大木があり、その根元に金勢社がある。この神社は残されている棟札から、天保13年(1842)には祭神を「金木彦命・金勢大明神」としており、御神体を象徴する偶像として男根を模した木製の棒が奉納されていた。明治4年の記録では神社名を「天沼矛神社(あまのぬぼこじんじゃ)」としており、終戦直後には奉納された男根を模した偶像ほ二千本をこえていたという(神社由来記による)
現在の御神体は大小約50本が奉納されており、御神体とされる神像の周りに林立している。俗説では鍬ヶ崎が遊里として賑わった江戸末期に芸者やお女郎が商売繁盛のため信仰したとされるが、本筋は医療が乏しかった時代に庶民が健康祈願や病気治癒のために信仰した神で、特に子うけ、安産の神として近郷近在から多くの人が詣でたという。金勢様の願掛けは手頃な御神体の一部である奉納された男根を神社から借りて患部にあてたりさすったりして願を掛け、病気が快方に向かう兆しが現れたら、借りた御神体にもう一本の御神体を拵え奉納するというものだ。

金勢様にまつわる逸話

数年前、宮古市内から奉納された巨大な御神体があり、これが境内に野ざらしになった。これを見かねたある老婆が雨風で腐らないようにとビニールシートをかけてそれをロープで固定した。数日後、老婆は体調を崩し寝込み病院通いをしたが回復せず、イタコにみてもらたところ「御神体が縄をかけられ苦しんでいる」との託宣がでた。老婆はあわてて金勢社の御神体のロープを解いたところ体調も回復したという。以来、その巨大な御神体は社内に安置されている。  金勢社は日影町の有志たちによって管理され祭りが運営される。宵宮と縁日は6月の第一土日で必ず雨が降る。最近は夜店も少なく昔ほどの賑やかさはないが、素朴な祭りとしてひっそりと営まれている。

関連事項

地図

https://goo.gl/maps/mDlWq

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