藤原比古神社
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閉伊頼基の妻、音羽御前を奉ったという
JR山田線をはさみ藤原地区の西側の山の中腹にあるのが藤原比古神社だ。この神社は中世の時代、閉伊地方を統治していた閉伊氏の初代とされる閉伊頼基の妻、音羽御前を奉る神社だ。以前は社が藤原町内にあり生前音羽御前が愛した藤の巨木があったがたび重なる災害により昭和36年(1961)現在の場所に遷宮した。神社としての発生は天保2年(1832)藤原の大井家で京都から勧請しその折り藤原比古神社の社号を賜った。また、比古神社の「比古」は「彦」という意味もあり黒森神社の伝説(三上文書)にある宮古湾に身を投げた是津親王の遺骸を火葬した跡に塚を作って手厚く弔った場所という言い伝えにも通じる。
比古神社の縁日は宵宮に夜神楽、地区の子供たちによる藤原若潮太鼓奉納が行われる。尚、御輿蔵にある御輿は昭和45年(1979)に大杉神社から譲渡されたものだが、この御輿は今まで藤原で担がれたことはない。
- 御縁日 7月11日12日(土日に変更あり)