音羽御前
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奥州黒と音羽御前伝説
建久元年、宮古地方の統治者となった鎮西八郎為朝三男、閉伊頼基の妻は近江の国の豪族佐々木四郎高綱の娘、音羽姫であったとされる。音羽姫は幼少の頃から希にみる美女で、藤の花と馬をこよなく愛したという。特に奥州閉伊藤畑産の「奥州黒」という馬は姫自らが飼育した愛馬とされる。
姫は近江の国から、閉伊に築城した頼基の元へ嫁いだが、近江に残された黒は姫のことが忘れられず、ある時柵を越えて近江から閉伊へと駆けだしたという。黒は山河をはるばる越えて己の生まれ故郷でもある十二神山の麓にまでたどり着いた。しかし鬼神の如く駆け抜ける黒を見た里人は物の怪のたぐいと思い、黒が立ち寄った厩ごと火をかけて殺してしまったという。
里人たちが焼死した黒の死骸を調べると蔵や鐙、鈴などに佐々木家の家紋があり、音羽姫が可愛がっていた奥州黒であることが判明。事実を知った音羽御前は深く悲しみ藤畑の音羽ヶ森に黒を祀り駒形神社を建立、蹄の跡に藤の花を植えて供養したという。現在、藤畑の駒形神社参道脇には、音羽御前を祀った祠があり、その森には巨大な幹の藤の古木がある。