長根寺秘話
長い歴史のなかで里人が語り継いできた長根寺にまつわる逸話がある。それは歴史的に検証するにはささいな事柄ではあるが、伝説や昔話で長根寺に触れてみるのも悪くはない。
- 白山姫は狐の化身であったか 白山神社
長根寺持ちの神社として古くから祀られる。旧参道アカイ沢を登り切った場所にあり、古来この峠から遠く黒森神社を拝殿したという。現在この神社は尾玉尊大祭と一緒に縁日を迎えるが昔は単独の祭を行っていた。奉られるのは「白山菊理姫(はくさんくくりひめ)」で巫女と関係が深い女神だ。古来この神様の縁日には生卵が供えられが、これに逸話が残される。ある時住職が白山様の祭に生卵を持ってお堂に行くと、いつのまにかお堂が2つになっていた。住職は仕方なく1つの卵を供えて戻るとその夜、白山姫が枕元に立ち我が傍にいる尊には供えなかったのか。1つの卵を我一人で食べられるものかと告げたという。翌朝住職が目覚めると庭前に卵が1つ置いてあったという。その後白山姫の縁日には卵を2つ供えるようになったという。
- 如是畜生菩薩…。 化け猫の戒名
いつの頃か不明だが長根寺に伝わる伝説に猫の戒名を書いたというものがある。ある時寺に野良猫が住み着き年を経てその猫は悪行の限りをつくすようになった。飯や副食を片っ端から食うわ、飼っていた鶏を失敬したり、雉や兎も捕る。猫のおかげで寺は生臭い臭いが絶えなかった。困り果てた住職は剣客に頼んで猫を追い出すことにした。死闘数時間後、大トラ猫は剣客の刀に倒れ憤死した。住職は畜生と言えど生きるための所行と考え、位牌に戒名を書き経をあげて猫の霊を弔った。位牌には「如是畜生菩薩」と書かれ位牌堂にあったが昭和17年の火災で焼失した。
- 戦前、黒森顕彰会が着目 謎の石棺
その昔、長根には高貴な方が住んでいたとか、南朝の皇族がこの地に落ちのびたという伝説があった。そんな伝説のひとつに謎の石棺がある。昭和17年の火災後焦土から掘り出された古文書にそれらしい事柄が記載されている。冒頭に寛政四年(1792)冬十月桜庭氏之老臣横田とあり、文中に「仙徳村清兵衛方の墳墓、大雨のため崩れし跡、大穴に角なききり石を見、棺とおぼしく二尺五寸四方、深さ三十四寸、蓋固し…云々」とある。石棺の中には骨と密教系の法具が見つかり長根寺に納めたとある。この石棺の伝承は昭和初期に提唱された「黒森神社長慶天皇御陵説」に取り入れられ、この遺骸こそが皇族のものではないかと囁かれた。石棺は明治になると行方知れずとなった。真言系の僧による即身成仏であったかも知れない。
- 仇になった「川」の文字 西国順礼塔と洪水
旧近内小学校跡地から200メートルほどいった三叉路に近内石碑群がある。この石碑群のなかに約2メートルほどの西国順礼塔がある。年号は江戸末期の文政11年(1828)で台座に十数名の連名、千徳石工勘兵衛の名が刻まれる(現在台座は埋没)。この石碑の碑文は時の長根寺住職(祐禅法師)の書で「順」の字の川偏が極端に細字になっている。これは近内川の氾濫を鎮めるための意匠だったが、石碑を建立した翌年、大洪水に見舞われ近内地区に大被害が発生した。人々は和尚の「川」の字が逆に太かったらこんなことにならなかった…と憤慨したという。