夏保峠
提供:ミヤペディア
かつての宮古町と鍬ヶ崎町をつないだ峠道
夏保峠は現在の愛宕にある本照寺背後にあった峠で、大正期に光岸地の切り通しが開通する以前はこの峠を通り宮古町と鍬ヶ崎町を行き来していた。昔峠には目の神様と称される地蔵堂があったという。
夏保峠は昭和40年代の国道45号線整備によって開削されたため最上部を失い、峠にあった地蔵堂は中里団地に移転した。
江戸末期の鍬ヶ崎は漁港であり東廻 (太平洋航路)の商船が往来する港で、船荷に税金を課せる「十分の一役場」という南部藩の特殊な機関も置かれていた。この頃すでに郭街は形成され、鍬ヶ崎独特の文化は多くの文人墨客によって記録が残されている。
この時代の鍬ヶ崎と宮古の往来は夏保峠という小さな峠で隔てられており遊郭への行き来もこの道が使われた。遊郭街は鍬ヶ崎上町付近であり明治期の埋め立ておよび大正期の光岸地の切り通し開削前の上町界隈は文字通りどん詰まりで目の前は海という遊郭地の発生条件を満たす土地柄だった。