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山口村

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2012年11月9日 (金) 09:13時点における版

山口川沿いに拓けた、宮古町と最も関係の深い農村

山口村は東を崎山村、西を茂市村、刈屋村、南を千徳村宮古町に、北は田老村、有芸村に接している。面積は5074方里、戸数313、人口男1280、女1119、枝村として近内、田代がある。(大正11年)
山口村の地名の由来は黒森神社及び黒森山へ登る登り口の意味があると伝えられる。鎌倉時代初期、根城に築城し当地を支配したという閉伊頼基の分家にあたる小笠原某氏の所領だったとされるが、戦国末期に南部氏が閉伊を統一してからは南部氏の所領になり宮古代官所の支配下となったまま明治維新に至る。田代は中世の時代、田代安芸という豪族が舘を築き支配しており、近内も同時代千徳氏の一族であったとされる近内某氏が支配していたため、両地区ともそれら豪族の名がそのまま地区名になったと考えられる。

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