鞭牛道路普請年表
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延享4年 | 1747 | 牧庵鞭牛林宗寺六世となり晋式挙行 | |
宝暦2年 | 1752 | 10月 | 花輪村北川目に念仏供養塔建立 |
宝暦5年 | 1755 | 3月12日 | 滝本橋供養右成就 |
5月10日 | 鞭牛林宗寺住職を引退、隠居となる | ||
大乗妙典一字一石血書供養の供養碑建立 | |||
船越大浦大網の岩窟で血書供養、南無阿弥陀仏碑建立 | |||
山田大沢袴田に南無阿弥陀仏碑建立 | |||
荒川村穴乳洞窟に母子観音建立開山 | |||
花輪村長沢南川目の岩窟を開き壇毒山として開山 | |||
宝暦6年 | 1756 | 天地二巻二千首の忘想歌集完成 | |
宝暦8年 | 1758 | 閉伊川街道の難所工事着手 | |
3月27日 | 腹帯大淵難所開削、供養碑建立(紛失) | ||
4月7日 | 下川井の難所開削、道供養碑建立 | ||
4月19日 | 古田さらつほの難所開削、道供養碑建立 | ||
4月28日 | 茂市村袰地ふぐとりの難所開削、道供養碑建立(紛失) | ||
5月3日 | 蟇目大平熊の穴の難所開削、道供養碑建立 | ||
5月15日 | 川井村川内淵の上の難所開削、道供養碑建立 | ||
5月15日 | 南川目十三仏霊場に大般若理趣分の一字一石血書供養碑建立 | ||
5月17日 | 川井村巻淵の難所開削、道供養碑建立 | ||
10月10日 | 茂市村袰地の新道開削、道供養碑建立 | ||
宝暦9年 | 1759 | 3月15日 | 花輪村長沢に架橋、道供養碑建立 |
3月20日 | 橋本三石大明神供養碑建立 | ||
3月25日 | 花輪村長沢北川目の難所開削、道供養碑建立 | ||
5月8日 | 川井村袰岩の難所開削、道供養碑建立 | ||
7月1日 | 川井村岡村の難所開削、道供養碑建立 | ||
10月10日 | 蟇目村さくみないの難所開削、道供養碑建立 | ||
宝暦10年 | 1760 | 2月28日 | 和井内安庭の薬水発見開起。3月にかけて和井内本村から安庭までの道を開削 |
3月16日 | 船越山の内に南無阿弥陀仏碑建立 | ||
3月28日 | 船越山の内の難所開削、道供養碑建立 | ||
宝暦12年 | 1762 | 川井村川井の難所開削、道供養碑建立宝暦元年から道路開削を決意して12年目の節として山田袴田に六角塔建立 | |
明和2年 | 1765 | 2月28日 | 織笠村から大槌町へ通じる裏街道開削、道供養碑建立 |
3月3日 | 織笠村から山田村へ越える道路開削、道供養碑建立 |
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宮古町の閉伊川七戻りの難所を開削、道供養碑建立 | |||
明和3年 | 1766 | 鞭牛、宮古閉伊崎の黒崎大明神に宝剣三振り寄進 | |
明和4年 | 1767 | 4月10日 | 織笠川に架橋、道供養碑建立 |
鞭牛の功績に南部藩は終身扶持15貫文を約束する | |||
明和6年 | 1769 | 5月16日 | 宮古岩泉間の有芸街道を開発 |
宮古町田代街道を開発、臼杵に南無阿弥陀仏碑建立 | |||
山田町三本小松に南無阿弥陀仏碑建立 | |||
安永6年 | 1777 | 8月8日 | 橋野村鵜住居間の道路開削、道供養碑建立 |
安永7年 | 1778 | 1月15日 | 小槌川に架橋、大槌鵜住居間の御廟坂の難所開削、道供養碑建立 |
安永8年 | 1779 | 鞭牛70歳。古希の祝宴開かれる。隠居屋敷に石碑建立 | |
天明元年 |
1718 | 吉里吉里大槌間の道路改修工事を行う | |
天明2年 | 1782 | 9月2日 | 牧庵鞭牛和尚死去、享年73歳 |