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霊鏡竜湖

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  • れいきょうりゅうこ【分類・僧侶】
  • 江戸時代:天和1年~享保12年(1681~1727)

浄土ヶ浜の名付け親として知られる

景勝地・浄土ヶ浜の名付け親として知られる、宮古山・常安寺七世霊鏡竜湖和尚は天和元年から享保12年に存在した僧侶とされる。当時里人もめったに訪れなかった浄土ヶ浜は舟かあるいは獣道を分け入ってたどり着く秘境だった。そんな浄土ヶ浜を訪れた霊鏡竜湖はこの地こそ極楽浄土と絶賛し七言絶句を詠んだという。霊鏡竜湖は浄土ヶ浜を仏の国に見立て先端の岬に地蔵を、この地蔵の兄弟として潮騒山地蔵堂(鍬ヶ崎上町の上の山・常安寺別院)、交天新墓地地蔵(中里団地)を勧請したという。しかし当時信仰上のテリトリーで金浜の神峯江山寺との軋轢を苦に、享保12年、盛岡での裁判の帰り遠野の地で自殺したと伝えられる。この他にも霊鏡竜湖の逸話は多いが出生や、どのような経緯で常安寺七世となったかは不明。

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