重茂村
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2013年2月21日 (木) 15:04時点における最新版
[編集] 太平洋に突き出た岬と奥深い山塊
重茂村は太平洋に突出した半島であり、南を大沢村、西は磯鶏村、津軽石村、豊間根村の三村に接し、北は宮古湾、東部は太平洋に面している。面積は4720方里、戸数229、人口は男770、女799で枝村に音部がある。(大正11年)
伝説によれば半島突端にある黒崎神社の創建が鎌倉時代の承久2年(1220)とされること、また縄文時代の遺跡等の分布をみても重茂半島にはかなり古い時代から集落があったものと考えられるが、詳しい詳細は残されていない。
戦国時代の天正年間(1573~1592)頃、乙部村は津軽石舘主であった一戸津軽石氏、重茂村は八木沢舘主であった八木沢氏の所領であったが、南部氏が閉伊を統一してからは南部氏の所領になり、宮古代官所の支配を受けて明治維新を迎えた。