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豊川和子

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  • とよかわかずこ【分類・画家】
  • 大正~昭和:大正8年~平成9年(1919~1997)

22年間パリ在住で作品を描き続けた女流画家

「女が絵を描くなど…」と批判された時代に絵画で自分の表現を貫き通し、晩年の約22年間を単身パリのアトリエで過ごし作品を描き続けたのが女流画家・豊川和子であった。
豊川和子は大正8年(1919)鍬ヶ崎に生まれ、宮古高等女学校、岩手女子師範学校を経て鍬ヶ崎小学校宮古二中で教鞭をとった。その後太平洋戦争を経て昭和26年(1951)東京都内の小学校で教師をする傍ら、昭和39年(1964)二紀会展に初入選、同会会員となり同時に、当時二紀会の代表をしていた宮本三郎氏にその力量を認められパリ渡航を決意。後、没するまでの22年間パリ在住の日本人女流画家として作品を描き続けた。
「プロ生活に入る時に発見したペタンクというテーマは私にとって人生の喜びと希望を与えてくれた。自分に本格的な画家への途を歩ませてくれたものはペタンクであると言ってもいいだろう…」と遺作展のパンフレットに書かれているように、彼女が作品を通して生涯追い続けたテーマはペタンクであった。
彼女が渡航した時代の日本では「遊ぶ」ということが大事なことではなかった。むしろ働き回っていることが美徳であるかのような日常であったという。彼女はそんな日本を離れることで新たなテーマと絵の中に流れる「遊び」と「人生」を見つけたのかもしれない。
彼女の遺作は宮町の市立図書館、市民文化会館ロビーなど宮古市の公的施設に展示され、独特の表現で描かれたペタンクの作風に画家・豊川和子の世界を今も漂わせている。

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