虎舞
海の交易で港に伝搬した特有の芸能
儒教の教えで中国では山の神の使いと位置づけされる虎だが、日本には秀吉の時代に大陸から持ち込まれた。そのためか一般的な虎舞として舞われる演目は大陸系のシナリオの流れの中に天照大御神などが組み込まれ大陸の歴史と日本の信仰を習合した形に変化した特殊な芸能として位置づけられる。宮古の虎舞は藤畑地区に伝わっており「藤畑虎舞」として津軽石の稲荷神社、駒形神社祭礼などで舞われる。この虎舞は明治の頃同地区の伊藤万二郎という人が山田町大浦へ出稼ぎに出ていたときに、虎舞の勇壮な舞を見て感動し自分のところでもやりたいと考えそれをきっかけにはじまったものと伝えられる。
藤畑虎舞は三匹の虎と、虎を先導する槍突き、掛け合わせを演じる和藤内、お囃子などで舞われるが、現在は専用の山車もあり引き手や先導する踊り子も入れるとかなりの人数が虎舞にかかわっていることになる。和藤内とは中国の歴史上の人物、鄭成功という人を和名にしたものとされ、天照大御神のお礼の威徳により虎を奪い返すという場面が演じられる。
これは中国の伝説を舞踊化したもので、槍突きから虎を奪い返した和藤内が虎を連れて館に向かう際、虎は雌の虎と出会い仲よくなって子供が生まれるという場面展開となっている。雌雄の虎と子供の組み合わせ、ユーモラスな虎の動きで見る者を飽きさせないうえ、出会いと出産というおめでたいストリー性から祭りの他結婚式や祝賀会などにも登場する。
もうひとつの虎舞は近世になってから創作アレンジされたもので、山車などに乗った虎が大暴れする様を見物人に見せる。みやこ秋まつりに船山車の上で勇壮に暴れる虎はまさにこれである。虎舞は陸前高田、釜石、大槌、山田、宮古などの港を持つ沿岸地区に定着した芸能で、県内陸部には根づかなかった芸能と言える。このことから虎舞のルーツは海の交易で沿岸に持ち込まれたものが各地区で少しずつ変化し現在に伝えられたものと考えられる。また、最近宮古では藤畑地区の他に宮園青年会による虎舞が始動している。