華厳院
提供:ミヤペディア
洞沢山華厳院は、閉伊頼基が父・源為朝の菩提を弔うため、為朝の法名から寺の名をとり、根城にお寺を建てたのが始まりといわれている。はじめは天台宗だったが、延徳元年(1489)に遠州(静岡県)掛川の雲林寺の住職を招き、現在地にお寺を再建してから曹洞宗になった。六世・三叟義門は、常安寺をはじめ田代の久昌寺などを開山し、華厳院はこの地方一の大寺になった。寛政4年(1792)に山火事で本堂が焼け落ち、また、大正7年(1918)4月にも再び山火事の類焼にあったことから、現在の本堂などはその後に再建されたものである。
- 【参考資料】宮古のあゆみ:宮古市(昭和49年3月)宮古のあゆみ:宮古市(昭和37年3月)
閉伊一の古刹の庭園
古い寺史で知られる宮古市花原市の寺院である華厳院。この寺院の開山は、鎮西八郎為朝の三男、閉伊頼基が根城でこの地域を統治していた建久年間(1190~1198)とされ、頼基が伊豆大島で討死した父を弔うために建立したと伝えられる。寺の山号は父、為朝の法号に「華厳院」の名があり、それにもとづくものと言われ、当時は天台宗だったが、後、曹洞宗に改宗した。
華厳院の庭園は本堂の裏にあり築山風に造られている。いつの頃に造られたものかはわからないが歴史ある趣を感じさせる。初夏のころは池のふちにアヤメが美しさを競い、ボタン、シャクヤク、アジサイなどが季節を彩る。遅咲きの紅ツツジ、ブナ、カエデ、モミジ、ケヤキの林が背後に続き、静けさの中にも野鳥も声が、余韻を残して庭園周辺に吸い込まれていく。
また本堂正面には、樹齢400年以上を越えるという梅の老木があるほか、参道には寺までを迎えるように桜並木が続き、桜名所としても知られ市民の憩いの場ともなっている。