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盛宮自動車株式会社

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盛宮自動車の運行

明治45年(1912)6月に、県で初めての自動車の試運転が盛岡・宮古間で行われた。 これは、原敬から山田線開通までの交通の確保を託された菊池長右エ門氏が、有志とともに行ったものである。同年(大正元年)8月に盛岡で発起人会を開き、10月には資本金5万円で盛宮自動車株式会社が発足した。客車(16人乗り)2台、トラック2台で大正2年(1913)6月に運転が開始されたが、当時の日本で自動車があったのは東京と宮古だけといわれている。その後、大正3年(1914)7月に門馬村で客車が転覆し、乗り合わせた新渡戸稲造博士の一行が負傷したり、翌4年(1915)10月には川内村での転覆事故で死者1名が出るなど受難が続いた。しかし、山田線区界駅が開業した昭和初頭も、区界・宮古間の連絡の使命を果たすなど、宮古駅の開業(昭和9年11月)までの盛宮自動車の功績は大きく、その名は日本鉄道発達史にも記録されている。

【参考資料】宮古のあゆみ:宮古市(昭和49年3月)

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