盛合家
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旧家・津軽石盛合家が国の有形文化財登録
宮古市津軽石の旧家・盛合家が国の有形文化財として登録されることになった。文部科学省の諮問機関・文化審議会が6月15日に、文部科学大臣に答申した。約3ヵ月後に官報で公告され、正式に登録される。
盛合家住宅は江戸時代後期に建てられたと言われ、商家造りと武家屋敷造りで構成されている。延べ面積は456・45平方メートルの平屋住宅。各室はふすまで仕切られ、天井は高く仕上げられている。玄関は入って8帖間があり、右手に茶室、左手に6帖と4・5帖の座敷、その奥に12・5帖の奥座敷がある。
この奥座敷には、1797(寛政9)年に南部藩藩主・利敬公が巡視の際に宿泊している。藩主の食事に使用した膳も今なお残されている。さらに享和元年(1801)には日本地図作成の測量でこの地を訪れた伊能忠敬も宿泊しており、座敷や陶器の便所、浴室なども当時のまま保存されている。「親々堂」と呼ばれる客室には古くから多くの文人墨客らが訪れ貴重な書や絵などを残している。
敷地内には酒蔵、米、味噌蔵、書院などがあるほか、江戸の名だたる庭師を招いて造った庭園も屋敷と一体となった風情を残している。また屋敷の基礎に使われている石は四国から運ばれて来たものとも言う。
盛合家は、古くから造り酒屋、鮭川瀬主、質屋、回船問屋を営み、江戸末期には二千石船「虎丸」「明神丸」を仕立て江戸との交易を行い大きな経済力をつけ、下閉伊屈指の豪商としての名を残した。 現在は自営業の光徳さん(51)が33代目の当主となっている。