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宮古層群

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八重樫七兵衛と宮古層群

宮古湾の開口部西岸に位置する日出島漁港周辺は潮吹穴ローソク岩日出島クロコシジロウミツバメ繁殖地の3つの国指定天然記念物や、崎山貝塚大付遺跡などの遺跡が多く存在し、学術上極めて重要な地域となっている。 今から100年以上前の明治32年(1899)この日出島の海岸でたくさんの化石が発見された。化石を発見した人物は、当時郡立下閉伊簡易水産学校(現岩手県立宮古水産高等学校)の教諭をしていた八重樫七兵衛だった。八重樫は岩手県地誌編纂資料収集のために日出島海岸を調査した際に化石を発見し、東京帝国大学(現東京大学)へ鑑定を依頼するとともに、自らも学会で報告した。学会ではその化石にヤエガシイと発見者の名前をつけて敬意を表した。このことから中央の研究者の注視するところとなり、多数の地質学者がこの地を訪れ地層や化石の調査研究を進めた結果、日出島と同じような地層が田老にも、岩泉にも田野畑にも広がっていることが確認された。これによりこれらの地層は初めて発見された宮古にちなんで宮古層群と名付けられた。宮古層群はアンモナイトをはじめとし種々の化石が豊富に産出し、当時の生物相を探る上で貴重な資料となっている。また、これらの発見された化石を外国のものと比べることによって、この地層は今からおよそ1億年ほど前の中生代白亜紀前期のものと分かった。化石の宝庫ともいわれ、500種類もの海生動物や樹幹の化石のほか、頭足類では16種類のアンモナイト、ヤイシ、オウムガイなどが見つかっている。

宮古層群と茂師竜(モシリュウ)

宮古層群からこの恐竜が見つかっている。それは岩泉で発見された茂師竜(モシリュウ)である。昭和53年8月、東京大学の大学院生であった加瀬友喜氏と東京大学教授の花井哲郎博士によって発見され「大恐竜日本にもいた」と新聞で大きく報道された。茂師竜はジュラ紀の中国にいたマメンチサウルスの仲間と考えられ、全長22メートル、体重40トンと推定される。かなり大きな恐竜でこの辺の水辺の植物を食べていたと考えられている

宮澤賢治の童話・楢ノ木大学士の夢

今から70年以上も前に、宮沢賢治は「楢ノ木大学士の夢」という童話の中で、この三陸海岸で恐竜を探す内容を書いている。楢ノ木大学士が調査を頼まれ三陸海岸に出かけ、そこで三晩洞窟に野宿をし夢を見る。鉱物と火山と恐竜の夢で、三晩目に自分はここへ白亜紀の大きな爬虫類化石を探しに来たはずだという夢を見たが恐竜は発見できなかったという話である。ヨーロッパで発見される恐竜と同じ時代の地層がここにもあることから、賢治が思いついた話であるとされている。多くの化石、あるいは茂師竜の発見によるように宮古層群は白亜紀前期の地層では世界的に珍しく、東アジアの中では白亜紀前期の標準層序とされている。

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