千鶏小学校川代分校
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2014年10月23日 (木) 16:17時点における最新版
[編集] 明治39年重茂小学校川代分校として開校
川代分校は明治35年(1902)、重茂尋常小学校川代分教場として設置されたのが学校の始まりだ。のち、明治41年(1908)に川代出張所と改称、大正6年(1917)に尋常5、6年を増設、昭和2年(1927)には出張所から川代分教場に昇格、翌年には新校舎が落成し授業を開始した。その後戦後になり昭和23年(1948)重茂村村立だった千鶏小学校が分教場から独立校として昇格、それに伴い川代分教場は千鶏小学校に属することになる。昭和36年(1961)には第二室戸台風により校舎の屋根が半壊し、漁協の集荷場での臨時授業が行われた。市当局の破損した屋根を修理し再度使用して欲しいという要請に地区では校舎新築を訴え続け、地区民総出で校舎を解体、建材は船で運ぶなどして翌年の12月に新校舎が落成した。しかし昭和50年代に入ると生徒数は減り続け、昭和59年(1984)6名の生徒を残しながら住民の夢と希望を背負った川代分校は閉校し、千鶏小学校に統合した。