Miyape ban 01.jpg

中村桂子

提供:ミヤペディア
移動: 案内, 検索
  • なかむらけいこ【分類・政治】
  • 明治~昭和:明治40年~昭和42年(1907~1967)

宮古市初の女性市議会議員として活躍

中村桂子は戦後の宮古市議会において5期19年間にわたり、女性の地位向上と教育のため活動した宮古市初の女性市議会議員である。
中村桂子は明治41年1月、鍬ヶ崎の素封家の商家の二代目・善助民次の次女として生まれ鍬ヶ崎尋常高等小学校を卒業し、盛岡実科高等女学校に入学している。しかし、女学校を卒業すると同時に家業が傾いたため、父親を助けるため家業に専念、そのまま生涯独身で通した。
昭和23年4月、宮古市議会議員選挙に女性として初出馬、当選。以来、同41年2月まで5期、19年間にわたり市議会議員活動を続けた。昭和31年9月には昭和24年に設立した宮古漁業協同組合に同組合婦人部が結成され、初代婦人部長に就任。以来、貯蓄推進を中軸にした漁家の生活改善向上に努めるとともに、漁家の主婦を対象に洋裁科、教養講座などを設置し、漁家婦人の教養向上を高めた。また、サンマ船団をはじめとした、宮古港における外来船の誘致のため、地方民に親切心の喚起をうながし、ひいては魚市場の水揚高増大にも大きく寄与している。
チリ地震津波をはじめ、三陸フェーン火災の際にも、大きな被害を受けた崎山地区に対し、率先して婦人部を激励し救援の手をさしのべ、この救援活動がのちの崎山漁業協同組合、宮古漁業協同組合合併の架け橋ともなった。
昭和32年10月には岩手県漁業協同組合婦人部連絡協議会会長、同38年10月には全国漁業協同組合婦人部連絡協議会会長に就任、その行動力で漁業の近代化とともに、沿岸漁家の生活向上を訴え続けた。
市議会議員を退いた昭和42年には全国日本社会教育功労者として表彰を受けたが、同年9月、闘病のかいなく59歳でその生涯を閉じた。

関連事項

表示
個人用ツール