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C108

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甦れ機関車C108

C108は銅精錬と肥料の製造会社だったラサ工業が、昭和37年(1962)国鉄から払い下げを受け、宮古工場専用線の入れ換え作業に使用していた蒸気機関車だ。当時は、ラサ工業を経て宮古駅から出崎ふ頭の宮古港を結ぶ臨港線という貨物専用の鉄路があり、C108は工場内での貨車入れ替えなどで専用線から山田線の分岐点があった藤原付近を走行していた。
C108は、昭和5年(1930)に川崎車両で製造された。大宮、高崎、仙台等の機関区で活躍、128万キロ余を走破した後、昭和37年(1962)3月に廃車となり、ラサ工業が譲り受けた。全長12・65メートル、713馬力の性能を持つ。ラサ工業に移り、宮古工場と国鉄貨物ヤード間約6キロを最盛期には1日3往復、120~130両の貨車を運んだ。その後、ラサ工業の分離により宮古専用線会社に移ったが、昭和51年(1976)に現役を退いた。それまでの全走行距離は240万キロを超え、地球を60周以上も回ったことになる。

市民の夢乗せ甦った小さな機関車C108

昭和61年(1986)11月、国鉄が宮古駅貨物取り扱いを廃止したため、同工場の専用線は廃止された。以後、SLは倉庫(トンネル)に眠ったままとなっていたが、これを復活させ、新たな観光資源として地域活性化に役立てようという機運が盛り上がった。そして、宮古市をはじめ商工観光関係団体がその活用について検討し、「甦れSL・C108運営協議会」が設立された。この時、陸中宮古ライオンズクラブが宮古市に働きかけ、当時の所有者である宮古専用線会社から購入。若干の修理を施したSLは宮古市から運営協議会へ無償で貸し出され、全国で唯一現存するC108型蒸気機関車として甦ったのである。
昭和62年から平成元年(1987~1989)まで宮古市内・臨港線を走っていたSL・C108「しおかぜ号」。汽笛を鳴らし黒煙を吐きながら走った勇姿は、今や忘却の彼方に去り、わずかな人々の心に残るのみだ。

うみねこ駅とはまぎく駅を結ぶ

運行開始は昭和62年(1987)7月19日であった。運転区間は旧臨港線を活用。「うみねこ駅」と「はまぎく駅」(1.4キロ)を設け、客車を牽引しながら初年度は58日間運行した。当時の蒸気機関車運行は、鉄道事業法に基づくものでないため、協力金を受ける形で運行した。収入の大半は市の補助金や8団体からの会費で運営してきた。車両の運転、管理等は三陸鉄道へ業務委託し、SL路線の清掃、美化整備等は市民のボランティアによって行われた。以後、SLは市の観光の目玉として夏場にかけて運行され多くのSLファンを集めた。

運行再開できず大井川鉄道へ

順調に走り続けたかに見えたSLも、社会状況の変化や、魅力ある路線として運行するためには短距離であったり、防波堤が車窓を遮るなどの課題もあった。ならば本線走行との声もあったが現実的にはならなかった。市は平成2年(1990)に乗客の減少を理由に補助金を打ち切った。以来、運転再開のメドが立たず、SLは再び倉庫に眠ったままとなった。やがて運営協議会は継続運行することを断念し、SLを元の所有者に返却。その後、C108は静岡県の大井川鉄道に売却された。大井川鉄道では動態保存としての運行を平成9年(1997)から行い、今なおその勇姿を見せ現役の蒸気機関車として同鉄道を走っている。

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