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2010/04 いくらおしゃれしても宮古人

提供:ミヤペディア
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 宮古に生まれ住んで途中何年か抜けたけれど約50年弱が経った。もう立派すぎるほどネイティブな「ミヤゴズン/宮古人」だ。だから満席順番待ちで「マツクタビレル/待ち疲れる」ような並びがある飲食店にはいくら時間に余裕があっても「モキモキズーガラ/イライラするから」入らない。食堂では料理がでてくれば「イッツォグイ/偏った食べ方」なあげく徹底的に早食いで、連れがまだ食事中でも飯を食ったらすぐ席を立つ。もちろん何処に急ぐわけでもないし、時間に余裕がないわけでもない。また、高速道路のサービスエリアや広い駐車場のホームセンターではできるだけ入口近くに車を止めて楽しようとする。そして何かの会合には「ミヤゴツカン/宮古時間」と称して必ず開催時間に若干送れて会場入りする…。などなど胸に手を当てればいつの間にやら「ミヤゴズン」の特性丸出しで生きている。また、言葉では「カミーケズル/整髪する」、「フトントル/布団を片づける」は当たり前で、ガソリンの事を「アブラ(ー)/油・石油」と呼び、給油は入れるではなく「ツメル/詰める」と言う。そしていつまでたってもゴミ捨てのことを「ゴミーナゲル/ゴミを投げる」と言う。ああ、これってきっと直らないんだ、直らないこそあなたも私もいくら「ヒナッテ/おしゃれして」も所詮、佐々勇のしょう油と「コゾッペー/塩辛い」新巻鮭が好きな「ミヤゴズン」なんだ。

 さて、そんな「ミヤゴズン」特性にどっぷり浸かってはいるが、ふるさと宮古のことは意外と知らない。だから宮古がいつからあったのかなどは疑問内容が素朴すぎて思いもよらないし、その答えは何処の資料をあさっても見あたらない。それでも往々にして江戸初期の慶長16年(1611)の大地震で発生した津波災害の沿岸視察に「オデッタ/いらっしゃった」南部の殿様が横町の山に登って町割りをした時に宮古という地名が確定したというのが定説だ。ではその時、殿様の脳裏にパッと宮古という地名がひらめいた、あるいは同行していた代官が殿様に提案したのであろうか。

 その昔(平安時代)東北は京の都から見れば陸奥国という別国で、エミシと呼ばれた蛮族が住む未開の地だった。そして宮古はその未開の地のさらに「カッツ/田舎」の北の海沿いにある集落だった。坂上田村麻呂が征夷大将軍だった時代、宮古地方は閉伊あるいはへ村と呼ばれおり宮古などという地名はない。時代が下って中世の時代(鎌倉中期~南北朝~室町時代)宮古地方を統治したという源氏系の閉伊氏の時代、一戸千徳氏の時代にも宮古という地名はない。秀吉が奥州仕置で東北へ北上し南部氏が御朱印をもらった安土桃山時代の天正18年(1590)にも宮古は閉伊であり宮古などという字は古文書にはない。しかし、この21年後の慶長16年に津波が押し寄せ、殿様が視察にきているから、このあたりの時代に宮古という名がデビューした可能性は高いと思われる。もちろん、寛弘年間(1004~1011)に阿波の鳴門の異変を神歌で鎮め、その褒美に都と同音の「宮古」の地名を…。というのはあくまでも伝説であり正史ではないのであしからず。

 ところで私たちが使っている漢字は中国の「漢」の時代に作られた文字が朝鮮半島の高句麗百済を経由して日本に持ち込まれたものだ。そのため発祥地である漢での読みに加え朝鮮半島でのアレンジが加えられひとつの漢字に音読みや訓読みとして様々な読みが存在する。だから仏教的に音読みで宮古を読むと「きゅうこ」になる。だから常安寺の山号は「みやこざん」ではなく「きゅうこざん」になる。ちなみに沢田の常安寺は「ケバレーズ/花原市」の華厳院の末寺として秀吉の時代だった天正8年(1580)に現在の市立図書館がある場所に開山したとされ、慶長の津波で「マルコデ/すべて」跡形もなく流出している。津波後に視察にきた殿様と同行した代官が流された寺のことを知り、常安寺の山号「きゅうこ」を「みやこ」と読みこれが地名の起こりとなったとも考えられる…。が、しかし、開山間もない庵寺のような末寺に山号があったかどうかの確証はない。

 宮古の「宮」は音読みなら「きゅう、ぐう」訓読みなら「みや」と読み字象は神社や寺、高貴なお方の住まいの意味だ。「古」は音読みなら「こ」訓読みなら「ふる、いにしえ」などと読む。字面から見ると、古い高貴な方のお屋敷や神社仏閣があった…というような地名由来が浮かんでくる。しかしながら、「みやこ」という読みは訓読みの「宮・みや」に音読みの「古・こ」なので、漢字のルールから見ると音音で「きゅうこ」、訓訓で「みやふる」と読むのが妥当であり「みやこ」と読ませるのは当て字臭いような気がする。または殿様と代官の漢字に対する知識レベルが低かったのかも知れない。ちなみに東京(音音)をはじめ仙台(音音)盛岡(訓訓)釜石(訓訓)久慈(音音)と地名は皆、音読み訓読みが揃っている。

 宮古が当て字だとしたらどんな漢字がふさわしいのか?二文字なのか三文字なのか?もしかしたら殿様が宮古にきた時たくさんのウミネコが乱舞しておりそれを見た殿様が… 殿 「これ、代官、あれは何という鳥じゃ?」 代官「はは、この土地では、みゃーこと呼びまする」 殿 「ほほう、みゃーことな?それではこの地方は、みゃーこと名付けようではないか、はっはっは」 代官「は、は、かしこまり候」  というよな事を考えるのはきっと僕だけなんでしょうね。

 近年は行政が刊行した冊子を元にした宮古検定なる試験もあり宮古をとりまくサブカルも注目されています。ふるさとを知ることはふるさとを愛するきっかけになり、自分の足元を知ることでもあります。ついでに勉強するなら対試験勉強のように文字を暗記するだけではなく想像力も養って宮古を見直そうではありませんか。

懐かしい宮古風俗辞典

いぎがめぇ     食品が腐る寸前、というよりすでに腐敗がはじまった状態。人が食べる限界ぎりぎり。

「行き構え」と書くのでしょう。一定の位置に定位していた状態からまったく別の定位へと移動、あるいは移動した直後を言い表します。特に様々な食品が食料として人の口に入る状態を越えて、腐ったり傷んだりして食べられなくなる寸前やその直後を言い表し、別物へと品質が移動したことを指します。この他に「コオリガメェ/凍る寸前・凍った直後」「クサレガメェ/腐る直前・腐った直後」などがあります。「…ガメェ/構え」は別の定位に移動してもう元の定位へは戻らない、あるいは戻っても品質が変化しているとを表し、変化が不動のものであるという意味です。  人の舌の味覚は15歳頃で完成しその後は鍛えればどんな高精度な分析機器にも勝る「神の舌」になるそうです。しかし、庶民の私たちが一生で食べる食品の種類などたかが知れていて、舌など鍛えられないまま老後を迎えます。けれどさすがに見た目や「カマレバ/臭いをかげば」食品の傷みは見分けられます。それでもわからなかったら食べてみれば「ンー、コリャ、イギガメェ」だとわかります。そうやって人のもったいない精神に探求心が加わり納豆やチーズが作られたと私は考えています。

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