黒森山陵誌
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2012年12月26日 (水) 08:59時点における最新版
[編集] 義経一党が三年三ヶ月にわたり黒森山に篭り写経
南部藩士であり宮古代官所給人であった高橋子績が残した著書。黒森山は古い時代にこの地へ都落ちした高貴な人物の墳墓であるとし、その説明の中で、奥州藤原氏に身を寄せていた義経はいち早く不穏な動きを察知し、平泉を脱出。蝦夷地を目指す途中宮古・黒森山に篭り三年三ヶ月にわたり大般若経を写経、奉納し武運長久を祈願したと記している。この記述に関して、義経が黒森山に篭ったことが子績の創作であったか、古来よりそのような伝説があり子績がそれらを拾い集めて『黒森山陵誌』等の著書に記載したかどうかは不明だ。また、義経らの滞在期間を三年三ヶ月としているのは、実際の日数ではなく、ある程度の長期という例えであり日数に換算するものではないことを付け加える。