鵜磯小学校
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校章
学校教育目標
- よく学ぶ子ども
- 思いやりのある子ども
- すこやかに生きる子ども
特色ある教育活動
- 算数科における少人数指導の充実による学力の向上
- 地域の自然、文化、人材、施設を生かした総合的な学習「はまっこ学習の推進」
- 郷土芸能「沖上げ」の伝承活動
- 合唱活動の日常化
重点研究主題学校教育目標
- 基礎的・基本的な内容を確実に身に付け、学び続ける子どもを目指して
- ~算数科における数学的な考え方を高めるための指導の工夫を通して~
鵜磯小学校閉校
東日本大震災の大津波で校舎が被災したまま重茂小学校に間借りして授業を行っていた宮古市立鵜磯小学校(佐々木祥子校長、児童数14人)が、2014年3月で137年の歴史に幕を降ろし閉校した。少子化による児童数の減少によるもので、地区民、卒業生らから惜しまれながらも終止符を打った。重茂半島に位置する海の見える小学校として多くの卒業生を輩出。最後の卒業生らは楽しかった思い出を胸に晴れやかな表情で校長先生から卒業証書を受け取り、思い出の校舎に別れを告げた。
鵜磯小学校最後の卒業式と閉校式。光る涙と希望の明日
鵜磯小学校の卒業式は2014年3月20日、22日には閉校式が、間借りしてる重茂小学校体育館で行われた。同校の卒業生は3人。「ありがとう鵜磯小学校」重茂半島の自然に恵まれた環境の中で、全員が家族の様につながりながら成長してきた児童たち。式では、それぞれが楽しかった思い出を、ありがとう千鶏小学校と大きな声で会場に響かせた。 震災後には両校は重茂小学校の間借りして学習してきた。同じ校舎での重茂小学校児童とともに、運動会の行事、見学学習など一緒に学習する機会も多く作り、友だちの輪を広げてきた。閉校を惜しむ声の中で児童たちは、ここで学んだことを誇りに、新たな学校で目標に向かって頑張ると涙をぬぐった。4月から重茂小学校に統合し新たな歴史を刻む事になる。
鵜磯小学校の変遷
鵜磯小学校は明治10年9月公立重茂小学校の分校として創立。19年に一旦廃校になり重茂小学校の通学区域に変更となるが、20年、重茂尋常小学校鵜磯分教場として設置された。 明治29年の三陸大津波では校舎が流失。昭和に入り22年に重茂小学校鵜磯分校となり、29年には重茂~鵜磯間のスクールバスが運行した。30年に宮古市立重茂小学校鵜磯分校、33年に鵜磯小学校として独立した。53年には共に100周年記念式典を開催している。
校歌
- 鵜磯小学校校歌
- 作詞 高橋啓吾 作曲 松田芳三
- 1.黒潮洗う 鵜の島の
- 白く輝き 朝日映ゆ
- 古き歴史を 誇る里
- いそしみむつぶ 君と僕
- 我が学舎よ 鵜磯小
- 2.木々深々と 海にのび
- 竹林青く すがすがし
- 新たないぶき 生まる里
- ともにはげまし 君と僕
- 我が学舎よ 鵜磯小
- 3.海幸あふる 太平洋
- 汽笛高々 出港す
- くらし豊かに 向かう里
- 力のばそう 君と僕
- 我が学舎よ 鵜磯小
基本データ
- 住所:宮古市重茂第26地割25-6
- 電話:0193-68-2025
- 創立年月:明治10年4月
- 児童数:13名(平成19年現在)
- 出典:宮古の教育・平成19年度版より
※ 2014年宮古市立重茂小学校へ統合