筆塚
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2014年10月28日 (火) 16:19時点における最新版
[編集] 宮古市指定文化財・幕末明治の鍬ヶ崎松原塾の門下生が建立
筆塚は学習に使った筆記用具に感謝し使い古した筆を供養するとともに今後も学業に励もうというもので、幕末から明治期の寺子屋、私塾などの門下生らが建立した。 宮古市指定文化財になっている筆塚は鍬ヶ崎上町の常安寺分院(上の山)墓所から民家を経て道又沢へ降りる小径沿いの竹藪にあり、幕末の鍬ヶ崎にあったという私塾・松原塾に関係する。
碑は約2メートルの花崗岩で右に嘉永五年壬子(1852・みずのえね)二月建立とあり、中央に力強い筆跡で筆塚とある。下部には筆軸五万本、同後、中沢嘉次兵衛弟子五百人とあり、左に浅い彫りの楷書で次の句が刻まれている。
- 黄鶯児の眠る枝あり梅の山
句の先頭になっている「黄鶯」は「こうおう」と読みウグイスより若干大型のチョウセンウグイスという鳥のことだ。続く「児」でチョウセンウグイスの幼鳥であり、それをウグイスに見立てて詠まれた句と考えられる。句は「の」を「農」「る」を「累」と変体仮名で表記している。また、句の中で「黄鶯児の」の「の」と「梅の山」の「の」が重複するため、「黄鶯児の~」には「農」を「梅の山」には平仮名の「の」が使われている。