海嘯記念碑
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明治廿九年六月十五日陰暦端午に当る此日朝より陰欝なりしが黄昏地揺ること二回やがて海上遙に轟然たる響を聞くや数丈の怒濤俄然打寄せ来ること三回其二次最激甚忽ちにして阿鼻叫喚修羅の巷は到処に現せられ則北陸奥の泊より南陸前志津川に至る海岸悉皆々の害を被里死者三萬流屋無数我鍬ヶ崎町は死者百廿八人流屋二百七十七戸船舶二百七十六艘を失ふ眞に悲惨の極と謂うべし此時恰も当町小学校に幻燈会有り児童及其父兄等参集し為に海嘯乃難越免れし者多かりしは不幸中の幸と謂う遍し嗚呼天地地妖の測り知るべ可らざる眞に恐る遍く又警むべし今茲十三年忌に当り罹災者越弔し碑を建てて後に伝ふ
- 建 立:明治41年(1908)11月
- 場 所:心公院(蛸の浜町)
- 建立者:鍬ヶ崎町有志者
- 碑 文:原文のまま
- 【参考資料】宮古市の石碑:宮古市教育委員会(昭和59年10月)