柏翁堂
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宮古下閉伊・安倍総本家の庭園
下閉伊郡山田町豊間根にある豊間根家の庭園は、別名・柏翁堂と呼ばれ、金閣寺を建てた足利義満に始まる室町時代の風流をくんで造られたものである。
庭の歴史は約450年と古く、樹齢はかり知れない古木のカシワ、岩手でも数少ないと言われる大槇などのほか、松、カエデ、ツツジ、サツキが配され、四季を通じて美しい自然を楽しめる。先代の七郎佐右衛門君任氏の頃が絶頂期の頃に、君任氏はここに茶室を造り、俳句にふけったと伝えられ、その俳号も大きな柏の老木から取り、柏翁堂と称した。往時は500坪もの池があったというが、戦後の農地改革などで庭の一部は田や畑に姿を変えていった。
しかし庭園の心臓部は今なお健在で、その吹き渡る風に様々な木々がゆるやかな鼓動の波のように揺れている。
豊間根家は代々農家だが村長も輩出した旧家で、その家系は前九年の乱で朝廷軍と戦い厨川の柵で討死したという安倍貞任からつらなるという。(家伝によると貞任の子孫がこの地に落ち延びたとしている)
豊間根家は現在で49代目となるが、代々、嫡男の子には決まって「任(とう)」との字が使われている。また、37代安倍七郎佐右衛門敬任の次弟に徳川吉宗の頃、本草学の大家で小石川療養所で薬草の研究をしており、幕末には釜石・仙人峠で薬草採取をしていた際、鉱脈を発見、これを長崎で製鉄を学んでいた南部藩の大島貞任に知らせ貞任は苦難の末、安政4年(1857)釜石に西洋式近代溶鉱炉を建設し仙人峠の磁鉄鉱で近代精錬に成功している。