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末広町扇橋の思い出

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古老が語る末広町 扇橋で釣具店を営んでいる石垣広治氏が語った思い出

末広町の繁華街に面して東角が山清商店、西角が太田駐車場、第二幹線通りは東角が岩館電気商会、西側が美容院・ビューティー向井で、この間約200メートルの通りが通称扇橋である。正確には末広町、黒田町、保久田の町名が入り組んでいる。通りのど真ん中に山口川が流れ、僅か3~4メートルの橋が架かっている。小さいながら、欄干のある扇橋である。

扇橋とは、よい名をつけたもので、南側には東西に開いた宮古一の繁華街末広町が、その名のごとく末広がりに拓けている。 その中心の裏手が扇橋で要の位置である。末広町の扇を裏返しにすると丁度そこが、第二幹線通りの繁華街になる。扇の表と裏を結んだ通り横丁が即ち扇橋通りなのである。

この町が出来たのは今から50年も前になるだろうか。昭和9年山田線宮古駅が開通するというので一面の田圃を埋立て宮古の市街が西の方へ移っていった。

私は光岸地生まれだが、5~6歳の時に末広町に移り扇橋の田圃を埋立ていの一番に家を建てた。その頃は、周りは田圃でカエルも鳴けばホタルも飛び、稲の中からハッタギも獲った。山口川はきれいな川でヤマメも釣ればウナギも釣った。八幡様の祭りには行列が家の中から見えた。第二幹線通りにも、まだ家が建ち揃わなかったから糸又商店で醤油造りの「大桶かたし」の仕事も、私の家から丸見えだった。 昭和23年のアイオン台風の洪水では手ひどくこの街もやられた。復興の時、藤原から武蔵さんが移ってきて武蔵旅館を経営した。今は飲屋街になり、昼も夜も賑やかすぎるくらいだ。釣具店のほか小鳥屋もやっているが、この小鳥屋の前には喫茶店のヒロインで、宮古の喫茶店では草分けに近い店だった。息子が小鳥屋にするので移ってもらった。扇橋は喫茶店の壱番館、洋菓子喫茶のパルミエ、おでんと焼鳥の安兵衛、おしどり、酒処では、いろは亭、バー弁慶など、その他キャバレー、寿司屋があった。

どこの街でも、繁華街の裏手は遊び場、飲屋と決まった町づくりになっている。扇橋は、末広町と第二幹線通りを前と後にして、どちらからみても繁華街の裏手に面し、よい町の形式、定法に合った立地条件を有しており繁栄するのが当然かも知れない。岩館電気、磯野商店など目立つ店もあり、繁華な商店街になだれ込むお客にとっても、一服休みにはよい所だ。喫茶店などでは趣味の絵画や写真、書道などを展示し、ちょっとした文化の昂揚にも一役買うなど、見上げたところも発揮している扇橋である。

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