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明治29年の三陸大津波を撮影した写真師・末崎仁平

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鍬ヶ崎と津波の歴史

とある旧家から出てきた写真は明治29年に三陸沿岸を襲った三陸大津波の写真の束だった。この写真を撮影したのは当時鍬ヶ崎にいた写真師・末崎仁平という人だ。氏は津波後、乾板と呼ばれる薬剤を塗布したガラス板に焼き付ける大きなカメラを担いで被災した鍬ヶ崎から光岸地方面を撮影したようだ。後日、その写真をキャビネ版に焼き増しし台紙に貼りこれを19枚のセットにして販売したものと思われる。台紙裏には簡単ではあるが撮影場所や感想を記したコメントが貼り付けられている。 東日本大震災で大きく被災し未だ住宅等の建設も出来ないままになっている鍬ヶ崎ではあるが約120年前にも津波によって大きく被災した歴史がある。沿岸に住む我々にとって津波災害は過去においても何度となく繰り返されてきた大きな試練でもあるが、これらの写真は未だ私たちの脳裏に残る3・11の惨状を思い浮かべながら過去の災害と照らし合わせ鍬ヶ崎の歴史として残しておくべき資料として重要だ。 なお、末崎氏は鍬ヶ崎仲町付近に居を構え当時は写真の他、幻灯機のタネ板を制作していた。明治の津波襲来の際、鍬ヶ崎小学校で行われていた幻灯会も末崎氏が関わっていたものと推測される。いずれにせよ、まだ写真機が珍しかった時代、津波被災翌日あたりから現場の惨状を撮影しており、今で言う報道写真家の先駆けとも言える快挙である。しかしながら、末崎氏のその後の消息はまったく不明で写真屋としてその後の鍬ヶ崎に店舗を構えた様子はない。末崎氏もこの津波で住居、店舗を失い復興を待たずして鍬ヶ崎の地を離れたのかもしれない。

明治三陸大津波とは

明治29年(1896)6月15日午後7時32分30秒、三陸沖東方沖約200キロ北緯39・5度、東経144度附近を震源としてマグニチュード8・2~8・5という巨大地震が発生した。この地震に伴って、本州における当時の観測史上最高の海抜38・2mを記録する津波が発生し各地に甚大な被害を与えた。鍬ヶ崎の鏡岩(現漁協ビル)にあった旧宮古測候所の地震計も約5分間の揺れを記録していた。しかし、震度は2~3程度であり緩やかな長く続く震動であったため誰も気にかけない程度の地震であった。揺れの少ない地震だったため地震による直接的な被害はほとんど無かったが、地震後に大津波が押し寄せ三陸沿岸をはじめ東北沿岸部など甚大な被害をもたらした。東側のほとんどを海に囲まれた鍬ヶ崎はこの津波で128人の犠牲者を出し、この津波で旧田老町はほぼ全戸の336戸が流失1859の死者を出している。

写真裏に添えられた津波の惨状

(写真師・末崎仁平 記)

宮古鍬ヶ崎町海嘯ノ惨状(その16より)

是ハ大鍬ヶ崎ト唱フル處ニシテ
数百戸ノ流亡セシ明地ニ於テ
木片ヲ以テ腐乱セル屍ヲ
火葬スル實况ニシテ傍ラ
人夫ノ徘徊スルハ荒地ヲ
片附クル有様ナリ
意訳・読みくだし
これはおおくわがざきととなふるところにして
すうひゃくこのるぼうせしあけちにおいて
もくへんをもってふらんせるしかばねを
かそうするじっきょうにして、かたわら
にんぷのはいかいするはあらちを
かたづくるありさまなり


宮古鍬ヶ崎町海嘯ノ惨状(その4より)

是ハ鍬港遊郭ノ惨状ナリ
昨夜彈セシ三味線ハ已ニ
破軒ノ下ニ埋没シ居レリ
天災ノ恐ルヘキ其ノ
瞬間ナル推測スヘキナリ
意訳・読みくだし
これはくわみなとゆうかくのさんじょうなり
さくやだんせししゃみせんはすでに
はけんのしたにまいぼつしいれり
てんさいのおそるべきその
しゅんかんなっるすいそくすべきなり


宮古鍬ヶ崎町海嘯ノ惨状(その6より)

鍬港三丁目ノ惨状ナリ
夥多ノ漁舩大舩地上ニ打上ケラレ
數多ノ諸道具路ニ敷イテ
歩スル能ハズ
實ニ目モ當テラレヌ有様ナリ
意訳・読みくだし
くわみなとさんちょうめのさんじょうなり
かたのぎょせんおおせんちじょうにうちあげられ
すうたのしょどうぐみちにしいて
ほするあたはず
じつにめもあてられぬありさまなり


宮古鍬ヶ崎町海嘯ノ惨状(その8より)

一見観者ヲシテ感動セシムベキ
悲々惨々ノ况ナリ
木材の横タハル中ヲ通シテ
死屍ノ運搬スルノ状
誰カ一滴ノ涙ヲ揮ハザル者アランヤ


意訳・読みくだし
いっけんかんじゃをしてかんどうせしむべき
ひひさんざんのきょうなり
もくざいのよこたわるなかをとおして
なきがらのうんぱんするじょう
だれかいってきのなみだをふるわざるものあらんや


宮古鍬ヶ崎町海嘯ノ惨状(その13より)

天地ノ變怖ルベシトハ會者ノ言カ不會者ノ言カ
疑フラクハ不會者ハ此程ノ者トハ豫想セザルベシ
父子相携ヘテ哨然トシテ通フルアリ
天是ニ雨ヲ下シテ朦朧タラシメタリ


意訳・読みくだし
てんちのへんおそるべしとはかいしゃのげんかふかいしゃのげんか
うたがうらくばふかいしゃはこれほどのものとはよそうせざるべし
ふしあいたずさえてしょうぜんとしてとうるあり
てんこれにあめをくだしてもうろうたらしめたり


宮古鍬ヶ崎町海嘯ノ惨状(その1より)

両町ノ界ナル新道ヨリ宮古町光岸地ヲ眼下ニ
其ノ惨况ヲ撮冩シタルモノニシテ
左方ハ新晴橋ノ中断ヲ遙ニ眺メ
閉伊川ヲ以テ白帯トナシ
三十餘軒ノ家屋皆海吹ノ一掃セル所トナリ
只舊幸和舘ノ半潰ト破レタル一倉ヲ餘スノミ
親ハ子ノ屍ヲ潰家ノ下ニ尋ネ
子ハ親ノ行衛ヲ叫ブニ惨ノ最モ酷ナルモノナリ
意訳・読みくだし
りょうまちのさかいなるしんどうよりみやこまちこうがんじをがんかに
そのさんきょうをとりうつしたるものにして
ひだりかたはしんせいばしのちゅうだんをはるかにながめ
へいがわをもってしらおびとなし
さんじゅうよけんのかおくみなかいしょうのいっそうせるところなり
ただきゅうこうわかんのはんかいとやぶれたるひとくらをあますのみ
おやはこのしかばねをがいけのしたにたずね
こはおやのゆくえをさけぶにざんのもっともこくかるものなり
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