日本汐路之記と南部の港
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船頭必携・日本汐路之記
近世において日本沿岸近海を航海した船頭達が必ず持っていたとされる本が、明和7年(1770)に高田政慶が40年間にわたり航海業者から集めた資料を元にして記した「日本汐路之記」と、天保年間(1830~40)に「日本汐路之記」の複写本として発刊された「日本船路細見記」がある。両著とも日本全国の航路と各地の港の様子を詳しく書き記したもので、三陸沿岸の主要な港について次のように記している。
- 釜石
- かうべ崎より二里下
- 良好の入港なり、この国に尾崎明神の宮あり。鳥居見ゆる。ここ米、大豆下値の所なり。役銭は一石二百五十文ずつなり、又世話人によりて僅かにてもすむなり。
- 南部大づち(大槌)
- 下り港、田の浜へ二里
- この港、河内深く良好の下り港、白浜なり。沖に三貫嶋という嶋あり。
- 南部田の浜
- 上り港、大浦へ三里
- この上の鼻をきりきりという。この港北東風は悪し。面舵にて入ればよし。
- 南部大浦
- 下り港、宮古へ四里
- 大入海なり、口に弁天嶋あり、ここ甚だ深し。
- 南部宮古
- 上下川港、久慈へ五里
- 閉の宮古ともいう、港へ入り取り舵にとどが崎という磯鼻あり、又面舵地より半丁沖に筆崎という嶋あり、南方を通る、奥へ入れば野間(注・浄土ヶ浜)という上り港あり、面舵に磯あり。取り舵して入る、右の間に船、二、三隻は懸かる。野間より奥へ入れば松山の鼻あり、この鼻落磯あり少し取り舵にして通る所に、くりが崎(注・鍬ヶ崎)という港あり。以下略
- 太郎崎(注・田老)
- 宮古より三里下
- 出鼻なり、この港あれども悪し、此の上の沖に、ひで嶋(注・日出島)という嶋あり、在家多くあり
- 南部久慈大間
- 下り港、八の戸へ十五里
- この港悪し、入り口面舵にて小嶋多し、港の内も磯多し、この下白浜。
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