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摂待方水

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  • せったいほうすい【分類・歌人】
  • 大正~昭和:大正4年~昭和28年(1915~1953)

地方の作家として活躍した孤高の歌人

戦中・戦後の一時期、旧山口村(宮古市山口)で、病いと闘いながら自然や生活哀しみを歌に詠み38歳の若さで亡くなったのが歌人・摂待方水だ。方水は、本名を基(もとい)と言い、大正4(1915)年11月山口村神田に生まれた。村役場勤務後、昭和11年に兵役で中国黒竜江省の国境警備の衛生兵として従軍した。昭和16年、現地で結核にかかり強制送還された。花巻の療養所での闘病生活の中で短歌を始め、療養所内で同好会を指導していた歌人・関登久也と出会った。関の師匠で歌壇の旗手尾山篤二郎の主宰する同人「藝林」に投稿、昭和20年にはすでに、同人欄に載るなど作家として認められていた。その後、郷里山口に戻ってからも「歌と随筆」「風林」「星座」「東海岸」などの同人に投稿しながら、231首の短歌を残した。
作品は、自然諷詠、写実主義なものが多い。残りに心の揺れや悲哀を描いた心情詠と、恵まれることの少なかった日常とか暗い現実を詠んだ歌があり、そこに心ひかれる人もいる。中央でも、地方の歌人として高い評価を受けている。昭和24年の西鉛温泉での「蒼明社、歌と随筆」全国大会では、大会記録係の菊池寛が「気になる存在」として方水の事を書き記している。
しかし、作品は永い間、同人誌の中で眠り続けあまり人々に知られることがなかった。それが平成7年になって、地元自治会長や詩歌研究家が作品群をまとめ発行した「摂待方水短歌集」によって、再び光が灯り、現在では追善の集い、方水短歌会なども開かれている。これにより、郷土の歌人を讃えようと山口地区民や短歌愛好者らの手によって平成8年4月26日、山口公民館敷地内に歌碑が建立された。碑面には次の歌が刻まれている。

  • 爆音の轟き過ぎし山口の若葉木原にひかりみなぎる

この一首からは、平穏で眠っているような農村に突如やってきた戦闘機が、かえって病に伏す心身を奮い立たせる、という、時代と自分の姿を客観的に見つめた視点が伝わる。  

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