崎山小学校箱石分校
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箱石分校の歴史
箱石分校は大正8年(1919)、崎山村立箱石分教場として現在地に創立。昭和4年(1929)本校新築に伴い古材の払い下げを受け、校舎を建設。同16年(1941)に崎山村立崎山国民学校は箱石分教場と改称。22年(1947)には崎山小学校箱石分教場、30年(1955)に宮古市立崎山小学校箱石分校と改称している。昭和36年(1961)5月29日の三陸フェーン大火で校舎が焼失。学校も地区も壊滅的な被害を受けたが児童は全員無事に助け出された。翌年6月6日に現校舎が新築落成。38年(1963)から2学級編成の複式となり、これまで約400人の児童がこの分校から巣立った。しかし、平成7年(1995)箱石分校は本校の崎山小学校へ統合のため創立以来76年の歴史に幕を閉じた。
箱石地区は、八川(やっかわ)、箱石、一ノ渡の3地区からなり、山間地に家屋が散在している。世帯数は39世帯、人口140人。宮古市の北端に位置し、市街地から山口猿峠を経て12km、本校から北西に5kmの地点にある。昭和47年(1972)に国鉄宮古線(現三陸鉄道)が開通し、一ノ渡駅が開業。椎茸栽培が盛んな地区である。