小国 鶏頭山・大圓寺
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閉伊地方における曹洞宗の開祖であったか
小国鶏頭山大圓寺は曹洞宗開祖、道元禅師の法孫二十五哲の一人とされる月泉良印の開山である。月泉は奥州吉本(宮城県)に生まれ、14歳で出家、康安元年(1361)水沢市黒石の正法寺・無低禅師の還化(死去)により44歳で同寺二世となった。月泉は常に早池峰権現を信仰しており、当時の黒石村からの月詣での通路である小国村に逗留し早池峰山に登っては祈祷したという。
月泉の故郷である奥州本吉は南部領妙泉寺が御坂支配する霞場であり、月泉は幼い頃から早池峰山を信仰していたものと思われる。
早池峰権現の託宣を得た月泉は当初江繋村桐内に草庵を結び、後に湯沢に移転、湯沢山大圓寺と称したが、後に現在の位置に移転し堂宇建立、鶏頭山大圓寺と改称したという。時に月泉は75歳であった。寺院としての形態が充実したのは、二世鉄叟和尚の頃で応永7年から12年頃(1400~1405)とされる。
その後大圓寺は無住となった時代を経て、文亀2年(1502)領主として小国を統治した武田彦十郎忠直が寺院の後山に大梵天舘を築いた際に再興した。次の興隆期は藩政時代に入り小国が南部氏系の嶋田氏の知行地となった寛文5年(1665)の頃で、同氏の知行地とされていた金沢村も加わり小国、江繋、泉沢村のほとんどを檀家としていた。
現在は無住だが、花鳥図、杉戸絵などの寺宝もある
地図
大圓寺開祖・月泉和尚が籠もった岩窟鉄胎の岩屋 薬師川対岸
江繋の神楽地区からタイマグラへ続く薬師川林道の対岸を走る高桧山林道を約4キロほどゆくと巨大な薬師川ダムがあり周辺は植林地となっている。岩屋はダムの数十メートル手前にあり、大きな岩が折り重なり数メートルの窪みを形成している。ここが鉄胎の岩屋と呼ばれ、大圓寺開祖・月泉良印が早池峰山登拝の折りに籠もった場所とされる。内部には祠、明治期に建立された早池峰大権現、月泉大和尚の石碑がある。また、岩屋下には湧き水があり水神塔がある。
岩屋には月泉と早池峰権現の石碑がある