宮古の興行史
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宮古における興業の歴史。今 文化会館、昔 公会堂
宮古における芸能や興業の歴史は古文書などに記録されることが少なく、近年のものでさえその主催者、正確な公演日などは忘れ去られている場合が多い。江戸時代の興業は旅回りの芸人が簡易な小屋を建て木戸銭を取るものから、寺や神社の境内で縁日などに行われる見せ物などがあった。これらは興業に際して宮古代官所に許可願いを出しておりその警備に御水主などが当たったため若干の記録が残されている。それによると宮古での興業は愛宕の石勝寺境内(江戸期に廃寺)とされ、女相撲、めくら相撲が行われたという記録があるがその規模や日数に関しは不明だ。
近年になると現在の市役所付近にあった下閉伊公会堂、映画館、宮古高等女学校講堂などで芸能や講演会が行われている。そして戦後、会員やサークルによる音楽リサイタルが活発化し、商店街による販売促進の歌謡ショーが宮古小学校体育館で開催されるようになり、昭和51年宮古市民文化会館の開館と同時に宮古におけるステージ興業の大半は市民文化会館がメインとなってゆく。