大平熊の穴の石碑
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閉伊街道には多くの難所があった。その中でもここは茂市ー蟇目間の最大の難所だった。この熊の穴の開削において鞭牛は、浮金法または火焔法と呼ばれる工法を用いたと伝えられる。この工法は、大きな岩を砕くとき、岩の上に大きな火を燃やし、真っ赤になった岩に一斉に水をかけ、亀裂をおこして砕くというものだった。碑文には宝暦8年(1768)5月とある。
関連事項
地図
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