大井要右衛門の墓
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酒を愛した男の本音。大井要右衛門の句
藤原公葬地にあるもので大井要右エ門という人の墓碑の左側面に刻まれている。この人物は晩年まで酒を愛し続けたと思われ寛政6年(1794)に没している。墓碑は何基もが整理されて並べてあるため間隔が狭く拓本をとるのは難儀するが次の句が3行で刻まれている。
生るれバ死怒る毛のと者 (うまるれば死ぬるものとは)
志里奈可良名越 (しりながらなを)
な津か志哉銚子盃 (なつかしや銚子盃)
この3行の中で1行目の「と」と、3行目の「か志」部分は彫りもかなり浅く判読は難しく、今回は資料として使用した岩手県沿岸史談会『史潮』掲載の花坂蔵之助著の「碑のうた」を参照にした。
大井要右エ門は戊辰戦争宮古湾海戦後に藤原須賀に流れ着いた幕軍兵士の首無し死体を葬った大井氏の三代前にあたる人物だという。大井氏は元々大伊と名のり、藤原に代々続いた旧家だ。古くから地引き網などの漁業を営んでおり現在の公葬地付近が屋敷跡ではなかったかとされている。