多良間村
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姉妹市村の締結
安政6年(1859)1月、前年から76日間漂流を続けた宮古の善宝丸が多良間島に漂着、島民の手厚い保護を受け無事帰還したという史実が、昭和49年(1974)に宮古の郷土史研究家の手で発見された。市ではこのお礼として、昭和51年(1976)11月に多良間村に「報恩之碑」を建立し、その後、児童生徒の交流学習を中心に交流が行われていた。 平成8年(1996)2月に、交流が始まって20年になるのを機に姉妹市村を締結した。 平成9年(1997)6月には、姉妹市村締結記念之碑が市役所前に建立された。
交流の経過
多良間の製糖工場への労働者の派遣をはじめ、小中学校の児童生徒による相互交流学習が続けられている。最近では、物産展への相互出店、多良間村の畜産振興のための和牛の提供、多良間村を含む宮古広域圏との交流などが行われている。
多良間村の概要
多良間村は宮古島の西方約67㎞、石垣島の北東約35㎞に位置し、東西6㎞の多良間島とその北西約10㎞にある水納島の2島からなり、大正2年(1913)2月に村制を施行している。 気候は亜熱帯気候に属し、年平均気温は23℃もある。旧暦の8月8日~10日(9月下旬)の3日間は、重税に苦しんだ農民がその皆納とくる年の豊穣を祈って催されたと言われる「八月踊り」が行われる。 テンプレート:しるしる