吉田タキノ
- 児童文学作家
ふるさとの香りただよう童話を創作
児童文学の中に初めて方言を取り入れ「タキノおっぱ」というニックネームで親しまれた宮古市出身の吉田タキノは、生涯数多くの小説、民話、児童文学など出版したほか、各種雑誌や新聞に執筆するなどして作家としての地位を築いた。
吉田タキノは、大正6年(1917)3月11日、鍬ヶ崎に生まれた。県立宮古高等女学校を卒業後上京。病院勤務のかたわら、昭和21年(1946)に『文芸首都』の投稿会員となり、数年後、新興教育運動家で児童文学者の井野川潔主宰の新作家協会に転じて小説の勉強をした。井野川の妻で『キューポラのある街』の著者・早船ちよのすすめで児童文学にも取り組んだ。
昭和37年(1962)に医療ミスを扱った作品『光のように風のように』を理論社から出版。これが同年に中京放送でラジオドラマ化された。同年、児童小説『はまべの歌』を出版。これに初めて方言を取り入れた。当時の児童文学には方言が使用されていなかったので、いろりばたで年寄りから昔語りを聞いているような文体が評判となった。それ以降、民話や採話の執筆が多くなり「タキノおっぱ」というニックネームが付けられた。
実際に起きた「松山事件」の記録小説にも取り組んだほか、宮古を題材にした作品も数多く残した。『はまべの歌』は宮古の浜辺の子らを描き、『桃の木長者』などには宮古弁が出てくる。昭和54年(1979)に小学館から出版した『兄と妹たち』は、自身の自伝的小説で、物語の舞台もまた宮古であった。
物語は、宮古の裕福な海産物問屋「山宋」を中心に展開される。主人公のマサコ、ユミコの姉妹が生まれた頃から傾く家運。旧家の滅びゆくさまを大正・昭和史に重ねあわせてたどりながら、肩寄せあって生きた兄と姉妹の姿を、作家は暖かい筆で描いている。
生涯独身を通し、埼玉県所沢市で教え子を指導していたが平成16年(2004)にふるさと宮古に帰郷。平成20年(2008)1月23日、療養先の病院で亡くなった。90歳だった。
遺骨は幼い頃、泳いだ蛸ノ浜を望む墓地に葬られている。