南部藩の船舶
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南部領沿海漁船の各種
「邦内貢賦記」に天和年中(1681~)「南部領沿海漁船の各種」という項目があり構造用途別に記載されている。
- 丸太船(マルタ)
- 一本の木をくり抜いて作った単純な最初の船。その後棚を上げたものも、丸木、マルタと呼ばれた。
- カッキ船(カッコ船)
- 刳(くり)底に一枚の上棚をつけた小船。平らな板で組み合わせて作った船を平カツコと呼んだ。文政3年(1806)の御用書留帳によめと、磯鶏に4隻の「かっこ」がありナマコやカレイをとっていたと記録されていることから、現在の磯漁業に使われる「サッパ船」の前身にあたる形状の船と思われる。
- ダンベー
- カッキ船、カッコ船をやや大型にした大きい船。「段平」の字をあてる。
- 塩井船
- 塩作りのため海水を運搬した小船。魚をとるなどの目的以外の使用は固く禁じられていた。
- 図合船
- 七十石以上、百石積み以下の運搬船で、磯伝いに使われたが沖に出る装備はなかった。
- 天当小廻船
- 五十石から百三十石積みの舳先が丸味をもった船で、同型で一回り小さいものを小天当船と呼んだ。小回りがよく最も使用された船。
- 与板船
- 舳先が立った白木造りの大型船で二人で漕ぎ、約15人が乗り組んだ。この船は大小2本のマストがあり、風の強弱によってゴザなどで作った帆を揚げて帆走した。カツオ釣り、アカウオ漁、延縄漁に利用され、藩主への献上魚もこの船がとった。
- 五大力船(ゴデェーギ)
- 与板船を改造した五・六十石積みの漁船。夏にはカツオ船、秋にはマグロ船として利用され、漁閑期には商船として荷物も運んだ。
- 弁財船
- 江戸時代の海運の主力となった代表的な船で、百石積みから二千石積みの大型船もあった。一本水押(みょうし)、三階造り、垣立廻りなどに特徴があり、後期には四角帆一枚ながら、帆走専用船も出現した。この船が江戸時代の廻船において花形となったのは、帆走性能が高かったこともあるが、何より荷物の積載量が多く荷揚げの際の積み下ろしの利便性も良かったことにある。
臨時収入を意味する宮古弁「ホマチ」は「帆待ち」が語源
自らの動力を持たず、自然の風を帆に受けて帆走していた頃の船舶にとって、風向きや天候の良し悪しは運航に大きく影響し、航行に適した安定した風が吹くまで船は港を出なかった。悪天候が続けば荷物の輸送日数に影響するが、荷主にとって無理に出航し時化や嵐に遭って大切な積荷を「荷うち」されるよりはましだった。
このように天候に左右され船が港に何日も停泊すると船乗り達も仕事にならない。そこで船乗りたちは日銭稼ぎに慣れない陸の仕事をした。この仕事は出航するまでのつなぎの手間賃稼ぎで、出航までの出帆を待つことからこれを船乗りたちは「帆待ち」と言った。転じて余暇の時間に本業でない仕事で得た賃金を「ホマチ」と言うようになった。