十字架山
提供:ミヤペディア
中世の時代の舘跡・閉伊氏出城・黒田舘だった里山
中央通の裏山頂上付近にある宮古のキリスト教徒の墓所。最高部には4~5個のコンクリート製の十字架と、木製の大きな十字架が建立されているが、その墓がいつ頃のもので、その下に誰が葬られているのかは定かでない。また、現地は判官稲荷神社の裏手にあたり、室町時代から江戸初期にかけて、ここには閉伊氏の出城だった黒田館があった。しかし、現在はそこを訪れる人もなく、ツタ、バラなどの雑草が生い茂り道はない。
中央通の裏山頂上付近にある宮古のキリスト教徒の墓所。最高部には4~5個のコンクリート製の十字架と、木製の大きな十字架が建立されているが、その墓がいつ頃のもので、その下に誰が葬られているのかは定かでない。また、現地は判官稲荷神社の裏手にあたり、室町時代から江戸初期にかけて、ここには閉伊氏の出城だった黒田館があった。しかし、現在はそこを訪れる人もなく、ツタ、バラなどの雑草が生い茂り道はない。