刈屋団右衛門の墓(沢田)
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歌が添えられた墓碑
この墓は常安寺墓所内にある火葬場付近にある。墓の主は刈屋団右衛門親賢という人だ。墓碑は自然石の一面を一旦彫り下げそこへ戒名を刻んだ路傍の石碑風になっており右肩に「若帰る、夢や、見るら舞、菊の蝶」と句が刻まれている。年号は嘉永5年(1853)9月20日とある。刈屋一族は芸事に才能を発揮したと伝えられ、故人も芸事に関係した人物だったのかも知れない。また、三閉伊一揆で宮古の役人宅が打壊しにあっているが、その役人が刈屋氏である。