亀岳小学校落合分校
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明治43年出張教習所として開校
落合分校については残されている資料も少なく、不明な部分が多く詳しいことはわからない。しかし、佐羽根分校の資料と教師であり郷土史家であった、沢内勇三氏が編纂した郷土史多志呂にわずかながら、落合分校の詳細が掲載されている。それによると落合分校は明治43年(1910)佐羽根尋常小学校の出張教務所として山口村大字第13地割滝ノ上25番地に開設したのが学校の始まりだ。4学年を収容している。郷土史多志呂によると宮古町には有能な師匠がいるが本村には各部落に小規模の自宅教授をするに過ぎず、教科書もなく教授も不十分なため寺子屋として弟子の世話を維持するのは、芋野(上在家)君田(橋場)臼杵(日陰)とある。このうち芋野の上在家の平井という人が明治期に開設された落合分校の基礎を作ったのかもしれない。いづれにせよ落合分校は亀岳小学校の分校として昭和40年(1965)まで続いたが、同41年(1966)に閉校となり本校である亀岳小学校に統合した。