七滝湯
明治27年創業。百年の時を超えた老舗
市内鍬ヶ崎仲町にある七滝湯。明治27年に創業し、すでに100年の時を超えた。銭湯の老舗だけあって脱衣所の鏡、カゴ、脱衣棚など、どれをとっても昔ながらの風情を残している。風呂絵は男湯が浄土ヶ浜、女湯が田老町の三王岩だったが、現在は古くなったことから消されてしまっている。
銭湯の名前は、まだ水道がなかった頃、梅翁寺付近の山から流れる出る鉱泉を7個の樋で引いたことに由来する。宮古港がサンマ漁の集結基地だった昭和30年代。銭湯も一番にぎやいだ。大勢で入りきれない船員たちのため女性用も開放したという。
船員向けのサービスの一環として宮古市廻来船誘致協議会による入浴券を発行し3年目になった。季節毎の飾り付けや、端午には菖蒲を入れるなど工夫を重ねている。
東日本大震災後惜しまれつつも再開を断念
鍬ヶ崎仲町に唯一残されていた港まちの銭湯・七滝湯(袰岩政子代表)が、3月11日の大津波で壊滅的な被害を受けた。建物が解体されていく中、多くの漁船員や庶民に親しまれた銭湯だけに再開を望む声が寄せられている。経営者の袰岩政子さん(72)は「鍬ヶ崎にとって銭湯は回来船のためにも必要。でも自分ではもう出来ない。再開するなら公営に頼らざるを得ない」と、無念さを滲ませている。
あの日の銭湯には一人が浴槽に、一人が玄関に入ろうとしていた。強い揺れが襲った時に、津波が来ると直感。お客さんをすぐ避難させ、自分も風呂釜の火を落し、愛犬を抱えながら近所の人たちに「避難して」と声をかけてと高台へと上がっていった。その時、すぐそこまで波が迫っていて、幾つものドラム缶がこちらに向ってきた。小型タンカーも流れ込んで来た。タンカーは銭湯に直撃することはなかったが、浴槽には天井が落ち、裏側の自宅も2階まで水没した。
津波が去ったあと建物自体はかろうじて残った。煙突、風呂釜も復帰できそうだったが、自力再建は無理と判断。建物は徐々に解体されていった。
明治27(1894)年に創業。創業者の名前を取って「伴治湯」とも呼ばれたが、七滝湯とはまだ水道がない時代、梅翁寺付近の山から出る鉱泉を7個のトヨで引いたことに由来する。銭湯の老舗でもあり、現在でも脱衣所の鏡、カゴ、脱衣棚などどれをとっても昔ながらの風情を残してた。宮古港がサンマ漁の集結基地だった昭和30年代。鍬ヶ崎地区には5件もの銭湯があり一番にぎやいだ。七滝湯では大勢で入り切れない船員のために女性用も開放した。しかし、それも今は昔。それでも宮古港に入港するサンマやサバなどの回来船の船員にとっては今でも無くてはならぬ存在だった。
- 場所 鍬ヶ崎仲町
- 営業時間 午後2時半~午後9時
- 定休日 月曜日
- 温度 43度
- 洗い場数 男女共11
- 電話 62-4926