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ライブイン

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おばらPC企画のライブイン

昭和51年に宮古市民文化会館が落成すると歌謡ショーをはじめ様々なイベントが展開されたが、そんなイベントの中で手作りコンサートで自分たちがステージに立とうという、若者たちの手によるアマチュアライブコンサートが開催されるようになる。このアマチュアライブを主催していたのが、当時の宮古のアマチュア音楽をリードしていたバンド、ETCと市内おばら楽器内の有志らによるPC企画(プレイヤーズサークル略)という集団であった。これはおばら楽器でギターなどの楽器を購入したユーザーに発表の場を提供するとともに宮古のアマチュア音楽の底上げを目的としていた。コンサート企画は「ライブ・イン」の名で親しまれ、創生期は15バンド以上の出場があり市民文化会館のステージで白熱の演奏を聴かせた。アマチュアによるライブコンサートは過去にもあったが文化会館の落成により活発化した。また、楽器や機材の低価格化もあり若者たちの音楽もフォークからロックへ移行したと言える。ライブイン創生期はそうした編成のバンドによるステージが大半を占めた。また、春のライブインは卒業する高校生たちにとっても最後のステージとなり感慨深いライブでもあった。ある時期ライブでの高校生の喫煙や飲酒が発覚し、高校生出場禁止、学校によってはバンド活動禁止などの規制もあったがライブインは宮古における少年たちの目標のステージだったのには変わりはない。一時期若者たちのバンド活動が下火になりライブインも開催されない年もあったが、近年は毎年春に開催されている。

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