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舘ヶ崎

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遁走する幕艦・回天を追って官艦が行く。台場で歴史を読む。舘ヶ崎(宮古市)

藩政時代末期、洋上を通過する外国船を監視するため南部藩では宮古・野田両代官所管内の主要な岬に遠見番所を設け外国船の往来を監視した。そんな岬の中には砲台場を持つ番所もあった。舘ヶ崎もそんな砲台場のある番所であり浄土ヶ浜の西側に位置する。 幕末の戊辰戦争では、宮古を偵察した秋田藩の記録に舘ヶ崎に大砲があり御水主(おかこ・役人)が詰め船舶を警戒していると記されている。だが明治2年(1869)3月21日の宮古海戦では舘ヶ崎の砲台場から幕艦を砲撃した記述はなく、宮古海戦時、南部藩は秋田戦争に敗れ謹慎中だったこともあり時砲台場は機能していなかったと考えられる。開戦時は奇襲に失敗して遁走する幕艦・回天を追って甲鉄、春日、第二丁卯(ていぼう)などの官軍の軍艦が北上、羅賀沖で幕艦・高雄を砲撃、高雄は弁天崎の石浜へ座礁した。
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地図

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