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追分絵入道標

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宮古市指定文化財・文字と図の追分絵入道標

追分道標(おいわけどうひょう)は人通りが多い街道やその分岐点で旅人が迷わないように建てられた道しるべだ。これらは単に「右は○○、左は○○」と表記した小型のものから、念仏供養塔、三界万霊塔などの信仰石仏を兼ねながら道しるべとしての機能をもたせたもの、そして文盲が多かった時代であるから文字に加えて絵文字や記号を彫り込み情報を提供したものがある。
宮古市指定文化財になっている田代地区にある追分絵入り道標は、高さ約80センチで上部右に刀、左に鎌の絵があり、これで刀が大道(街道)を表し鎌が山道であることを示している。それぞれの絵の下には「右ハい王いつミ」「左ハやまミち」とあり、下部にこの碑を建てた由松、辰之助、岩次郎の名がある。
この表記でのポイントは「い王いつミ」で「いわいつみ」と読むことだ。「王」は漢字が作られた中国語では「わん」と発音することから変体仮名で「王」は「わ」と読む。「いつミ」は本来「いずみ」と表記したいところだが、「泉」という漢字の構成は「出水(いつみ)」であることから「す」ではなく「つ」が当てられている。
この石碑の向きや方角は建立された安政二年(1855)から現在まで何度か移転していると思われ、現在の道路事情では道標としての機能は果たさない。しかし石碑は江戸末期、この道が宮古からの浜街道として交通量が多かったことを物語っている。

追分道標で道案内

道しるべとしての追分道標は意外と多く存在し、現在はあまり利用されない旧街道などの石碑群の中や今では農作業にしか利用されない田んぼのあぜ道にあったりする。
宮古で道しるべとしての石碑が多いのは長沢地区~折壁~大野~津軽石と続く俗に根井沢街道と呼ばれる道沿いだ。碑には「右は往来左は山道」「右は大野左山道」「右津軽石左もりをか」「右津軽石左菩提寺」などと文字が刻まれた石碑がある。もちろんこの他にも八木沢と高浜を結ぶ旧道、田代の梨ノ木平~馬場へ降りる峠、津軽石から豊間根に抜ける荷竹地区の石碑群などにも追分道標が存在する。また追分道標の中には最初から年代や建立者の名前を入れないものも多く、区画整理や道路工事などで誤ってロストする場合も多いようだ。

関連事項

地図

https://goo.gl/maps/nXzHA

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