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田老鉱山・鶯谷の滝(田老鈴子沢)

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==='''布引観音白糸の滝(北川目)平片の滝(和井内)'''===
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=='''田老鶯沢廃校田老二小校内から沢を登る'''==
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 田老鉱山の滝は閉山と同時に廃校となったかつての田老第二小中学校裏から流れる鶯沢(別名鋤ノ沢)にある。滝は10メートルほどで旧田老町教育委員会編の石碑を記載した冊子によると周辺に滝大明神と刻まれた60センチほどの石碑があるとのことだが、発見できなかった。かつてこの沢の水が田老鉱山の飲料水であったものと思われ、現在は宮古市水道事業所が管理している。田老鉱山は江戸末期に南部藩の鉱山として知られ明治になり幾度となく転売された後、大正期にラサ工業が権利を取得、昭和11年(1936)田老鉱山として操業を開始した。鉱床は銅、亜鉛、硫黄、硫化鉄でこれら鉱石を索道でラサ工業宮古精錬所へ運んでいた。戦後は新たな鉱床も発見され多くの人が鉱山に従事しており社宅も400戸を数えた。それに伴い敷地内に田老第二小中学校が設置された。その鉱山も石油ショックなどの影響で昭和47年(1972)に閉山、施設は廃墟のまま東京の学校法人へと転売され現在に至る。
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==地図==
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 宝永7年(1710)に和井内に生まれ延享4年(1747)に橋野村林宗寺の六世となり宝暦5年隠居後の生涯、約30年間を道路開発に捧げた鞭牛は、国道106号線である閉伊街道や浜街道の難所開削を手がけている。
 
 鞭牛は林宗寺六世として船越の大網の窟、豊間根の穴乳窟、南川目の十三仏、北川目の布引観音、安庭の鉱泉などを霊場や行場として開山している。これらは当時の仏教は修験的色合いも濃かったため、鞭牛が特殊な地形をした特異な場所に神仏を祀ったことによる。その中には滝もあり北川目の布引観音白糸滝、和井内の平片の滝などがある。平片の滝には村の女を襲う魔物を調伏するため鞭牛が祈祷し法力でねじ伏せた伝説が残されている。また、鞭牛の建立と伝えられる不動明王の祠がある。
 
 
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2014年10月24日 (金) 09:08時点における最新版

[編集] 田老鶯沢廃校田老二小校内から沢を登る

 田老鉱山の滝は閉山と同時に廃校となったかつての田老第二小中学校裏から流れる鶯沢(別名鋤ノ沢)にある。滝は10メートルほどで旧田老町教育委員会編の石碑を記載した冊子によると周辺に滝大明神と刻まれた60センチほどの石碑があるとのことだが、発見できなかった。かつてこの沢の水が田老鉱山の飲料水であったものと思われ、現在は宮古市水道事業所が管理している。田老鉱山は江戸末期に南部藩の鉱山として知られ明治になり幾度となく転売された後、大正期にラサ工業が権利を取得、昭和11年(1936)田老鉱山として操業を開始した。鉱床は銅、亜鉛、硫黄、硫化鉄でこれら鉱石を索道でラサ工業宮古精錬所へ運んでいた。戦後は新たな鉱床も発見され多くの人が鉱山に従事しており社宅も400戸を数えた。それに伴い敷地内に田老第二小中学校が設置された。その鉱山も石油ショックなどの影響で昭和47年(1972)に閉山、施設は廃墟のまま東京の学校法人へと転売され現在に至る。

鉱山滝01.jpg

[編集] 地図

https://goo.gl/maps/4qEjA

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