宮古地名図鑑(色彩編)
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田老地区の西はずれに位置する。七滝地区との峠を越えた北側にあり、近年は地区をあげてのイベント「げげだす祭り」が評判となっている。古くから伝わる自家製「青倉みそ」が作られている場所としても知られている。青倉とは、青黒い岩の崖のことをいう。 | 田老地区の西はずれに位置する。七滝地区との峠を越えた北側にあり、近年は地区をあげてのイベント「げげだす祭り」が評判となっている。古くから伝わる自家製「青倉みそ」が作られている場所としても知られている。青倉とは、青黒い岩の崖のことをいう。 | ||
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2013年3月28日 (木) 12:23時点における版
色の表記がある地名は田んぼや畑の土の色を表記したものが多いようだ。肥沃でどんな作物にも最適な黒土の場所に「黒」が当てられ、鉄分を含み錆びて痩せた赤土の土地には「赤」が当てられるようだ。また色には関係ないが土の痩せ加減では「蓬」の字もありこれも痩せてヨモギしか生えないという意味だ。この他、真っ青な淵がある青の滝、白い砂浜の白浜などがある。
目次 |
羽黒坊(はぐろぼう)
羽黒信仰の宿坊があった名残。上鼻(かんぱな)
現在の宮古市上鼻地区。ひと昔前はJR山田線を境に山側が上鼻、国道側を羽黒坊と呼んでいたが、現在は上鼻にまとめられた。羽黒坊は上鼻地区にある羽黒修験の坊があったことに由来する。坊は山伏の名であったり神社縁日や参詣で籠もる簡易な宿のこと。
地図
<googlemap version="0.9" lat="39.631573" lon="141.912417" type="map" zoom="15" width="320" height="240" controls="small"> 39.631573,141.912417, 上鼻付近 </googlemap>
黒森町(くろもりちょう)
黒森神社の麓に拓けた町
山口という地名も黒森神社に登る山の入り口であることから付けられたとされ、黒森神社の信仰は当地方では海に山に里に絶大であった。藩政時代も藩公が宮古通りを通過する際は必ず参拝に立ち寄ったという。黒森は巨木が茂った鬱蒼とした暗い森という意味。
地図
<googlemap version="0.9" lat="39.648906" lon="141.939626" type="map" zoom="15" width="320" height="240" controls="small"> 39.648906,141.939626, 黒森町付近 </googlemap>
黒田町(くろたまち)
山口川が運んだ肥沃な土地
黒田とは栄養分を含んだ黒土の水田を意味する。これに対して赤土の錆びた土地は渋田、ヨモギしか生えない荒れ地を蓬田と呼ぶ。現在黒田町は市街地なので田畑はないが、本来黒田町は山口川が運んだ土砂の上に拓けた肥沃な土地という意味がある。
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<googlemap version="0.9" lat="39.642727" lon="141.950505" type="map" zoom="15" width="320" height="240" controls="small"> 39.642727,141.950505, 黒田町付近 </googlemap>
青の滝(あおのたき)
滝の淵に主(怪魚)が棲んでいた伝説がある
田老地区の北部海岸地域の集落、神秘の隠れ滝「青野滝」がある。「崖(あぶ)の滝」の転訛で岩崖の涸滝を意味する。伝説では滝に通称「アオ」という魚が住んでいて、常に頭を北、尾を南に向けていた。そのことから北の集落が「青野滝」、南が「重津部」と呼ばれるようになったという。
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<googlemap version="0.9" lat="39.774275" lon="141.996295" type="map" zoom="15" width="320" height="240" controls="small"> 39.774275,141.996295, 青の滝付近 </googlemap>
青砂里(あおじゃり)
青い砂利?崩れやすい斜面を表す?
田老地区の市街地の東側、三王岩へ向かう途中の地域一帯。方言の「あおざり」から来るもので、青黒い砂礫の意味。かつてはそんな場所だったかも知れないが、今は住宅地となっている。
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<googlemap version="0.9" lat="39.737983" lon="141.983035" type="map" zoom="15" width="320" height="240" controls="small"> 39.737983,141.983035, 青砂里付近 </googlemap>
青倉(あおくら)
大豆やピーマンの産地。げげだす工房の青倉味噌が名物
田老地区の西はずれに位置する。七滝地区との峠を越えた北側にあり、近年は地区をあげてのイベント「げげだす祭り」が評判となっている。古くから伝わる自家製「青倉みそ」が作られている場所としても知られている。青倉とは、青黒い岩の崖のことをいう。
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<googlemap version="0.9" lat="39.7363" lon="141.868987" type="map" zoom="15" width="320" height="240" controls="small"> 39.7363,141.868987, 青倉付近 </googlemap>
白浜(しらはま)
旧磯鶏村の飛び地。かつては磯鶏浜との渡し船があった
宮古湾の対岸重茂半島の西側地区の集落。白浜で白砂の浜の意味。全国各地にある典型的な地名。かつて旧村部時代は磯鶏村に属していた飛び地であった。磯鶏には「呼浜(よばわりはま)」という浜の名がある。昔はここから海を挟んで白浜と話をしたそうである。
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<googlemap version="0.9" lat="39.609672" lon="141.97958" type="map" zoom="14" width="320" height="240" controls="small"> 39.609672,141.97958, 白浜付近 </googlemap>
金浜(かねはま)
古文書では兼浜とも表記。周辺漁村が利用を兼ねた浜だったのか
宮古湾を囲む海辺の南側奥に位置する一帯の地域。津軽石地区に接している場所でもある。半漁半農の地域でもあり、浜言葉の「かね」(鉤金)浜で、鉄鉤を使って磯貝漁をする浜のことを意味する。
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<googlemap version="0.9" lat="39.595173" lon="141.94396" type="map" zoom="14" width="320" height="240" controls="small"> 39.595173,141.94396, 金浜付近 </googlemap>
赤前(あかまえ)
津軽石川東岸の集落。藩政時代は鮭漁で津軽石村と対立
津軽石地区の津軽石川を越えた東側地域一帯。中世時代、ここを統治していた赤前氏に由来する地名。赤前氏は閉伊氏の一族で、釜石尾崎附近に居住していたが、延元元年(1336)、赤前治郎左衛門為義の時、主従27人で赤前に来て館を築いた。払川舘落城の際は千徳氏と戦い、藩政時代には崎山の女遊戸を飛び地として所領していた。
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<googlemap version="0.9" lat="39.577231" lon="141.945033" type="map" zoom="14" width="320" height="240" controls="small"> 39.577231,141.945033, 赤前付近 </googlemap>